ゴルバチョフ元ソ連大統領は1991年4月、核大国の元首として初めて被爆地・長崎を訪れた。当時を知る被爆者らは31日、「人間味あふれる人だった」と元指導者の死を悼み、「歴史の転換点をつくった」と東西冷戦を終結に導いた功績をたたえた。
ゴルバチョフ氏は91年4月19日に来崎。真っ先に向かったのは、幕末から明治にかけて長崎で亡くなったロシア兵らが眠る曙町のロシア人墓地だった。管理する悟真寺の木津章史住職(71)は、当時住職だった父義彰さん(96年死去)らと出迎えた。大統領専用車から降りたゴルバチョフ氏は「スパシーバ(ありがとう)」と言いながら、一人一人と握手。「ニコニコと優しいまなざしだった」と木津住職。
帰り際に書いてくれたサイン色紙は、今も寺で大切に保管している。木津住職は「最期まで世界平和を願っていただろうから、ウクライナで戦争が続く中で亡くなるのは悔しかったはず」と悼んだ。
「核による苦しみを最初に背負ったのは日本人である。だから私はここに来た」。ゴルバチョフ氏はこう語り平和公園で平和祈念像に献花。ライサ夫人とともに静かに目を閉じ、原爆犠牲者に祈りをささげた。
被爆者団体の代表の一人として立ち会った県平和運動センター被爆連の川野浩一議長(82)は、車から降り、出迎えた市民らと握手を交わす姿が印象的だったという。「大国のトップと思えない、人間味のある対応だった。平和への思いを込めて市民に接していた」としのんだ。
県被爆者手帳友の会は95年、平和運動への功労者に贈る「友の会平和賞」をゴルバチョフ氏に授与。朝長万左男会長(79)は「米国と対話し、核兵器の削減を具体的に進め、核軍縮に貢献された。米ロの対立は現在、冷戦期以上に危機的な状況。対話を通じ信頼醸成に努めてほしい」と話した。