ゴルバチョフ氏の問いかけ

 沿道で歓迎する市民のために、1万2千本もの小旗が配られたという。1991年4月19日の歴史的訪問を大きく報じた本紙には、愛称を交えて「長崎でもゴルビースマイル」の見出しが躍る▲ソ連のゴルバチョフ大統領その人が強く希望し、来崎が決まったらしい。長崎市の平和公園とロシア人墓地を訪ね、花をささげた▲その5年前、チェルノブイリ原発事故が起きた。「核による最初の苦しみを背負ったのは日本人だ。平和公園は核被害と平和を象徴している。だからここに来た」と報道陣に語っている▲冷戦時代、核の軍拡競争で軍備費がとてつもなく膨らみ、やがて経済の重荷になった。そんな事情もありはしたが、レーガン米大統領と互いに核軍縮を進めることを約束し、核戦争の危険を遠ざけた▲東西冷戦を終わりに導いたゴルバチョフ氏が91歳で亡くなった。8年前、ロシア文学者の亀山郁夫さんのインタビューにこう答えている。〈これまでの歴史でロシアは、おびただしい数の犠牲者を出しています。…ですから、ロシアが戦うということはありません〉(集英社「ゴルバチョフに会いに行く」)▲これに反してロシアは他国への侵攻と、核による脅しに傾く。時間を巻き戻して何になる? 冷戦終結から30年あまり、立役者の死はそう問いかける。(徹)

© 株式会社長崎新聞社