アヤックスからマンチェスター・ユナイテッドに加入することが決まったブラジル人アタッカーのアントニー。
これで、マンチェスター・ユナイテッドとアヤックスの両方でプレーした選手は10人目となった。残りの9名を『Planet Football』からご紹介しよう。
リサンドロ・マルティネス
エリック・テン・ハフ監督が率いるアヤックスでプレーしていたセンターバック。身長が170cm代ということで獲得されたときは非常に不安がる声が多かった。
最初の2試合で敗れたときには「それ見たことか」という状況にはなったものの、その後リヴァプール戦でマン・オブ・ザ・マッチを獲得しており、サウサンプトン戦でも無失点に貢献している。
ドニー・ファン・デ・ベーク
エリック・テン・ハフ監督が率いたアヤックスでマタイス・デ・リフトやフレンキー・デ・ヨングらとともに大きな注目を集めることになったセンターハーフ。
マンチェスター・ユナイテッドに移籍したときには非常にセンセーショナルな補強だとされたものの、プレミアリーグではなかなかチャンスを与えられず。恩師の就任で今季は勝負の年に。
ズラタン・イブラヒモヴィッチ
マルメで若くして台頭したあと、アヤックスへと移籍したイブラヒモヴィッチ。スナイデルやファン・デル・ファールト、ミドらとともにエネルギッシュなプレーを見せ、注目を集めた。
イタリアやフランスで活躍を見せたあと、30代後半になってからマンチェスター・ユナイテッドへ。年齢もあって不安視もされたものの、怪我をするまではまさに「キング」として活躍を見せた。
ダレイ・ブリント
アヤックスのレジェンドであるダニー・ブリントの息子であるダレイ・ブリント。アヤックスからマンチェスター・ユナイテッドへと加入し、ルイス・ファン・ハール監督の下でプレーしたものの、なかなかうまくいかなかった。
2018年にアヤックスへと復帰したあとは再び中心選手に。心臓発作に襲われたために埋込み型除細動器を装着しなければならなくなったが、無事に現役でのプレーを続けることが出来ている。
エドウィン・ファン・デル・サール
アヤックスで台頭したあと、ユヴェントスでのプレーで大失敗してしまったエドウィン・ファン・デル・サール。失意のままに加入したプレミアリーグのフラムで稲本潤一らとともにプレーし、大復活を遂げた。
そして30代になってからマンチェスター・ユナイテッドに加入。ピーター・シュマイケル以来の「信頼できるゴールキーパー」としてファンからも崇拝され、多くのタイトル獲得に貢献した。現在はアヤックスの経営最高責任者。
ヤープ・スタム
おそらくフィルヒル・ファン・ダイクが現れるまで、プレミアリーグで最も優れたオランダ人ディフェンダーだったはずだ。マンチェスター・ユナイテッドの歴史上でも最高クラスかもしれない。
クラブで3年しかプレーしなかったものの、彼がいなければ1999年のトレブルは達成できなかっただろう。彼はもともとPSVの選手であったが、キャリアの最後にアヤックスへと移籍してスパイクを脱いだ。
イェスパー・オルセン
アヤックスからマンチェスター・ユナイテッドへと直接移籍した初の選手はイェスパー・オルセンだ。1984年に35万ポンドで取引された。
デンマーク代表の左ウイングだった彼は、プレミアリーグでも一定の活躍を見せたものの、クラブをタイトルに導くまでの影響力は見せられず。4年間のキャリアで怪我にも苦しみ、出場機会も減少していった。
アルノルト・ミューレン
ミューレンは1971~74年にアヤックスで活躍したMFだ。トゥウェンテとイプスウィッチ・タウンを経て1982年にマンチェスター・ユナイテッドへとやってきた。
FAカップでの優勝などロイ・アトキンソン監督の下でいくつかの成功を収めたあと、1985年に古巣のアヤックスへと復帰している。
フランク・ステイプルトン
アイルランドの名ストライカーであるフランク・ステイプルトン。アーセナルで70年代に活躍し、そして80年代にマンチェスター・ユナイテッドへ加入した。ただアレックス・ファーガソン監督の就任で刷新されたチームの中に入れず、1987年にアヤックスへ移籍した。
オランダではわずか半年間の所属となったが、後にアンデルレヒトやダービー・カウンティ、ブラックバーン・ローヴァーズなどで活躍を見せている。