<南風>経験

 小学6年の前倣えではクラスの一番後ろで背も高く、髪を編み込んで隣町を歩いていると20歳くらいに見られることもあったが、心はまるっきり子どもだった。大人はいいなあ、手伝いという口実で子どもばかりこき使い、宿題もない、好きなことしてさ―。早く自分が好きなことができる大人になりたかった。

 本を出しっぱなしでお使いごとをしていると「整理整頓」、友達の悩み相談で長電話していると「簡単明瞭」、お小遣いをねだると「いつまでもあると思うな親と金」などいちいち小言を言ってくる。

 小学生の頃は、よく反論していたが「今は分からなくても大人になったら分かるようになるよ」の返事。中学生の頃は「親の心子知らず」と小さくつぶやいた母に、眼光鋭く「子の心親知らず」と心の中で猛反発していた。

 だが自活し初めて当たり前にそばにいた親のありがたさを知り、社会人としてのけじめを教えてくれていたことに気付く。出産・子育てを経験し子どもとの向きあい方に悩みながら両親の芯からの愛情を知る。

 社会人になって上司の指導・鞭撻(べんたつ)もうっとうしいと思うこともあったが、後輩ができ、役職が付くと上司が諭してくれたことが理解できるようになった。経営に携わると厳しさと優しさ、利益と理念の矛盾にも悩み、目的は同じだが歩みたい道順が違うことに対し選択肢が多く、葛藤の日々を送っているが少しずつ納得することが増えてきた。

 諭されたことをすぐ理解できる人間であれば反抗や討論もしなかっただろうが経験しないと気付かない私は鈍感だろうか?人生100年、これからもいろんな経験をすることでしか気付かないことがあるだろう。それでも関わる全ての人に感謝できる人間になれるよう先輩方を敬いながら謙虚に経験を積んでいきたい。

(澤岻千秋、御菓子御殿専務取締役)

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