織田信長らが決死の撤退戦…金ケ崎城の歴史肌で感じた ふくい城巡りプロジェクトが現地見学会

月見御殿跡で南洋一郎さん(右から2人目)の説明を受ける参加者=9月10日、福井県敦賀市金ケ崎町

 戦国時代に織田信長ら「戦国三英傑」が最大の窮地に陥り、決死の撤退戦を繰り広げた舞台として知られる福井県敦賀市の国指定史跡、金ケ崎城の現地見学会「金ケ崎城を巡ろう」が9月10日、開かれた。県内外の子どもから大人まで30人が、本丸があったとされる月見御殿跡や堀切を見て回り、激戦の歴史を肌で感じ取った。

 金ケ崎城は戦国時代、朝倉義景の討伐に向かう織田信長が「戦国三英傑」として知られる豊臣秀吉、徳川家康とともに侵攻。天筒山城、金ケ崎城の攻略に成功したが、同盟関係にあった浅井長政の裏切りを察知して退却した。南北朝時代には、足利尊氏から逃れた新田義貞が尊良・恒良親王とともに籠城して激戦を繰り広げた。

 見学会は県内の市町や観光協会などでつくる「ふくい城巡りプロジェクト」実行委員会が主催。参加者はガイドを務めた郷土史研究家の南洋一郎さんと一緒に巡った。

 月見御殿跡で南さんは「『太平記』ではここから親王を守る本隊が出撃しているように暗に描かれている」と解説。参加者は標高約90メートルの高台から敦賀湾が一望できる絶景を楽しんだ。

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 三の城戸、二の城戸、一の城戸と続く堀切を経て天筒山展望台も巡った。南さんは天筒山城については「大規模な山城で、元々は金ケ崎城と一体のものとして、後世に追加修築された可能性がある」と説明していた。市内から参加した50代男性は「子どもの頃から何回も来ているが、知らないことばかりでためになった」と話していた。

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