サザンオールスターズ「KAMAKURA」デジタルとの格闘と生音への拘り  聴いて実感! 時代の最先端に斬り込んだ桑田佳祐の先進性と独創性

サザンオールスターズも大人気! バンド=ヘヴィメタル全盛だった時代

1984年の9月半ば… 僕らは高校生活最後の文化祭に、サザンオールスターズのコピ―バンドとしてエントリーした。そして、「ミス・ブランニュー・デイ」「いなせなロコモーション」「匂艶THE NIGHT CLUB」など最新曲から懐かしい曲まで7曲ほどを体育館のステージで披露した。

なにせ僕らの世代は、TBS系金曜ドラマ『ふぞろいの林檎たち』(1983年5月~7月)の影響で、たとえシングル曲じゃなくてもサザンの認知度が高かったのだ。バンド=ヘヴィメタルが全盛期のころにサザンを演奏するなど軟派中の軟派なのだが、それはもうウケたかったんだからしょうがない。もちろん演奏は大好評のうちに終了した。その日、僕らはバンドとして絶頂を迎え、そして燃え尽きたのだった。

ところが、その影響は僕らの想像をはるかに超えていた… 多くの友だちから「もう一回演奏してくれ!」「もう一回聴きたい!」と懇願されたのだ。そうして、在校生に送られる立場の三年生だというのに、悪びれない僕らは2月半ばの予餞会で再びサザンオールスターズを演奏したのだった。今度こそ集大成だ。まさに完全燃焼である。

そして1985年3月… 僕らは晴れて高校を卒業した。

その日からおよそ半年が過ぎた1985年9月14日、サザンオールスターズ8枚目のアルバム『KAMAKURA』がリリースされる。

バンド向きでないデジタルアレンジ。難攻不落の楽曲とは?

このアルバムを、多くの音楽評論家たちは「第一期サザンの全てが凝縮された最高のアルバム」と評している。ただ、その2枚組アルバム『KAMAKURA』の1枚目を、友人が買ったばかりのCDプレイヤーで再生して最初に流れてきた「Computer Children」を一聴した僕らの感想は「こんなの無理!」であった。

デジタル化の波は前作の『人気者で行こう』から薄々感じていた。けれど、そこから何段階も一気にハードルを飛び越えた圧倒的なデジタルサウンドの洗礼に「とてもじゃないけどコピーできない!」と、ミュージシャンとして心折れたのだ。しかし、燃え尽きたとか完全燃焼だとか言いつつも、当時の僕らはまだまだバンド演奏に夢中だったんだ。

「Computer Children」は、まさにデジタルの要塞に守られた難攻不落の楽曲だった。

白玉(全音符)のシンプルなキーボードバッキングはさて置き、ガチな音色のシンセサイザーから発する無機質で前衛的な間奏のエグさ。ノイズゲートを咬ませて強調したスネアドラムによるヒップホップ的なループ。サンプリングされたシンセベースの打ち込みフレーズなど、バンド小僧を寄せつけないアレンジの凄味もあって、とても太刀打ちできない。素人がバンドで演奏しようとすると、薄っぺらいスカスカのサウンドになってしまう予感しかない。

ボーカル自体のエフェクト処理も巧みである。楽曲重視で聴けばスタジオアルバムとしての完成度は特筆すべきもので間違いない。ただ、いかんせん「どうやって生で演奏するの?」だったのだ。まだ10代だった僕らの機材と財力ではライブで再現不可能… 全く以ってバンド向きじゃない(笑)。

聴く耳が楽曲の良さを感じるんじゃなくて、どうやって演奏するか? … にこだわっていたのが、バンド小僧という若さゆえであり恥ずかしい限りである。

西武球場のツアーライブで演奏された「Computer Children」

ところが… だ。「バンドで演奏するのは難しそうだな…」とメンバーと話をしていた矢先、サザンオールスターズはやってくれたのだ。

1985年の9月21日から10月5日に行われたスタジアムツアー『KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ』全8公演で、本編20曲中15曲をアルバム『KAMAKURA』からのナンバーで演奏したのだ。もちろん「Computer Children」もライブ後半にお目見えする。

いままでも、そして現在もそのスタイルは変わっていないのだけど、サザンオールスターズのライブ演奏は、スタジオ盤の雰囲気を残しつつもロック色が強いアレンジで演奏される。

「Computer Children」も然りだ。

さて、ライブでの「Computer Children」だが、出だしはスタジオ盤に近いアレンジで、素人だと不安になりそうなスカスカな演奏… でもそこはサザンオールスターズ。原由子の産休により代打出場したEPOとコーラス隊による分厚いサポートが効いている。打ち込みで作ったシンセサイザーのギミックを多用しているけれど、それは同期させるのではなくオンタイムで演奏に挿入されているようで、ドラムの生音と大きく違和感はない。また、サックスの前衛的な演奏も雰囲気にマッチしていた。

いま思えば『KAMAKURA』も、サンプリング技術で何とかなりそうな部分を総勢40名余りのミュージシャンを集め、打ち込みではない “生音” で録音されている。デビューアルバムの『熱い胸さわぎ』から生音への拘りは変わらずに、それはデジタルサウンドの洗礼を受けたこのアルバムでも一貫していたのだ。大所帯でのライブ演奏の懸念もなんのそのである。ホーンセクションを常駐させているのは、その拘りのひとつであろう。

改めて、素人が真似するレベルにない領域に到達したライブだと感じてしまった。ちなみに、このときのライブはTBSでダイジェスト版が放送されている。

時代の最先端に斬り込んだサザンの集大成「KAMAKURA」

さて、僕らのバンド… この『KAMAKURA』に収録されている「Bye Bye My Love」と「メロディ」をライブ演奏したことがある。アルバムが出た1985年の冬… たかがコピーバンドだというのに、サザンオールスターズの楽曲から上記を含めた23曲を選びライブを行ったのだ。ほぼサザンのライブである(笑)。そして、これを最後に僕らのバンドは消滅した。今度こそ本当に燃え尽きたのだ。

さて、最近のバンドマンたちは、好きなミュージシャンのコピーをせずにいきなりオリジナル曲に挑む人が多い。打ち込み機器が高性能になり手軽に扱えることで、ひとりで曲を完成形に持ち込めることもひとつの要因だろう。

でも、ちょっとしたフレーズの積み重ねやコード進行の工夫など、曲を “耳コピ” してこそ得られる経験は多い。自分でギターなりキーボードなり演奏することで、その音楽自体が自分の血肉になるのだ。特にサザンオールスターズの桑田佳祐は、ジャンルに囚われない多種多様な音楽に触れ、それを自らの楽曲に散りばめている稀有なミュージシャンだ。

学生時代の僕も、サザンオールスターズの楽曲を通じて多くのサウンドを吸収した。デジタルの大きな流れもそうだ。新しいものに対する桑田佳祐の先進性や独創性は素晴らしく、いち早くチャレンジして僕らに新しい方向性を示してくれたのだ。

そう考えると『KAMAKURA』というアルバムは、確かにこの時代の音楽が進む最先端に斬り込んだ集大成なのだと、改めて納得できた。

さて、僕らのバンドは燃え尽きてしまったけれど、この『KAMAKURA』を機に活動休止をしていたサザンオールスターズは、デビュー10周年になる1988年に僕らの元へ帰ってきてくれた。そればかりか、皆さんもご存知のとおり、この後彼らは更にパワーアップして進化し続けてゆくのである。

カタリベ: ミチュルル©︎たかはしみさお

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