名人十代目柳家小三治の「まくら」超えた?「噺家カミさん繁盛記」

噺の頭につける「まくら」。その面白さで人気を博したのが十代目柳家小三治だが、妻の郡山和世さんは師匠と内弟子のやり取りなど面白おかしく書いた「噺家カミさん繁盛記」を出版し、テレビにもなった。(新聞うずみ火編集部)

まくらと言っても寝具ではない。落語の本題に入る前のおしゃべり。噺の頭につけるのでまくら。漫才の場合はつかみという。以前、ダチョウ倶楽部が「つかみはオッケイ!」と、笑いを取っていたので、ご存じの方も多いだろう。出てきてすぐに観客の心をつかむので「つかみ」。

まくらは噺の導入部だが、寄席では落語家が今日はどういう噺をしようかと、二、三小咄を振って客の反応を探り、その日しゃべる演目を決めるのに使われた。いや、今もそういう役目にまくらを使う場合もある。いつも同じ小咄だと飽きるだろうと、あれこれ身辺雑記や世間話をまくらに工夫する噺家も。3代目春団治のように全くまくらなしか、お決まりのまくらですっと噺に入る噺家もいれば、かなり長いまくらを振る噺家もいる。若い頃の笑福亭鶴瓶もまくらが長く、本題の噺より長かった場面に出合ったこともある。これが現在の「鶴瓶噺」や「私落語」につながっているのかも。

十代目柳家小三治(落語協会ホームページより)

まくらの面白さで人気を博したのが、21年10月に亡くなった十代目柳家小三治(1939~2021)。もちろん本題の落語のうまさは折り紙付き。講談社から『ま・く・ら』と『もひとつ ま・く・ら』という2冊の本も出している。洋画を字幕スーパーなしで理解したいと50歳を過ぎて、単身アメリカへ語学留学したり(1990年9月)、自分の借りている駐車場に無断でホームレスが住み着いてしまった話とか、たまらなくおかしい。そういう身辺雑記や趣味の話があるかと思えば、自分って何だろう? 幸せって何だろう? と、人生の大問題を飄々と語ったり……。

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噺家が自分の師匠や修業時代の話を面白おかしく語っている本は多いが、噺家のカミさんが、その内実を語った本は数少ない。小三治のカミさんが『噺家カミサン繁盛記』(郡山和世・著)を書いている。これまた、小三治のまくらをしのぐ面白さ。大学在学中に小三治と出会って卒業後すぐに結婚。3年後には初めての弟子が入門してくる。張り切って食事を作り世話を焼くが、平気で「僕、これ嫌いなんです」とのたまうわ。20代の初々しい新妻なのに、夫婦でまくらを並べていようが着替えをしていようがおかまいなしに部屋に出入りする。挙句、「オカミサン、ブラジャーはなにカップですか?」と平気でほざく。で、「純情可憐とは縁を切って、強情好かれんカミサンに変身した」そうだ。

「噺家カミさん繫盛記」

が、そこには夫婦ともども弟子への愛情が垣間見える。『ま・く・ら』の最後に弟子の真打披露の口上がおまけで出てくる。そこで小三治は喜多八という弟子の強情さを直そうとしたがダメで困っていたら、カミサンに「この子はいくらやっても無駄なんだから……強情でえばって陰気を武器にしたら」と言われ、お前は「誰よりも生意気陰気で行け」と言ったら、「その陰気さを武器に、とても陽気になった」と述べている。小三治もカミサンもホンマええ人だ。この「噺家カミさん繫盛記」はフジテレビ系列の『妻たちの劇場』でドラマ化された(1991年11月4日 ~ 12月13日)。(落語作家 さとう裕)

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