石井麻木(写真家)- 20年間一貫した、心と心で被写体と向き合う"写心"の眼差し

“写真”とはその時々の心が写る“写心”

──今回の個展は『20年の眼』というタイトルにあるように、写真家になって20年を記念しての個展ですか?

石井:はい。写し始めて20年になるんですけど、10年目までは毎年1回、個展を開催していたんです。でも2011年に東日本大震災が起きてから毎月東北を写させていただくようになり、東北の現状を伝える写真展を毎年行ないたく、その年からこちらの個展は5年に1回にしました。ちょうど今年(2022年)が5年に1回の年と20年目の年が重なったんです。

──麻木さんの東日本大震災以降の東北の写真やライブ写真は『3.11からの手紙/音の声』で見てましたが、今回のようなポートレートや風景の写真は初めて見ました。私は写真の知識はないんですが、麻木さんの写真だぁ! って思ったんですね。東北の写真もライブ写真も風景の写真も繋がっているというか、貫かれているものを感じて。

石井:嬉しいです。

──麻木さんは写真を写心って言っていますが、どういうきっかけか改めて教えてください。

石井:カメラを仕事として始める前の17歳のときに両親が離婚して。父親が家を出たんですけど、Nikonのカメラを置いていったんです。私はそのカメラを持って学校を一週間休んで一人旅に出ました。いろんな場所で写真を撮って、後で現像して見たら、うわぁ、寂しい…って感じる写真ばかりで。そのときの私は見るものすべて寂しかったんでしょうね。写真ってこんなに心が写るんだって思って。その後、人を写させていただくようになって、笑顔で写したら笑ってるような写真になって。その時々の心が写るんだって。それで写心って言葉が自分の中から出てきたんです。

──意識しなくても自分の心が写る。写真の面白さなんでしょうね。

石井:そうなんです。その前は絵を描いていて、でも17歳という多感な時期にカメラを手にしてからは写真ばっかり。絵はゼロから自分で創るものだけど、写真は在るものがないと写せない。撮りたいものが存在しないと写せないですよね。それが人でも風景でも何か物でも。そこで、いかに自分らしく写すというか……。自分はどう見えているか。その世界をどう見つめているのか。自分の目線で、自分の眼差しでっていう。そういう面白さですね。

──そこなんですよ! 目線、眼差し、それは麻木さんの独自のもので。だからどの写真を見ても麻木さんの写真だってわかるというか、伝わるというか。

石井:わー、嬉しいです。

──麻木さんの眼差しって、被写体を尊重している感じがとてもするんです。被写体が人であるならもちろんのこと、風景であっても。あ、風景こそ尊重するものかな。とにかく被写体を尊重している。

石井:はい! そうなんです! そうありたいと思ってます。ライブであれポートレートであれスナップであれ、向き合わないと撮れないし、尊敬して尊重していないと向き合えないし、写せないと思っていて。心と心、そういう関係性で撮らせていただいています。そこを大事にしたいっていうのが凄くあって。

──だから自然体でありのままが写っているんでしょうね。そのありのままこそ被写体を尊重しているっていう麻木さんのスタンスの現れで。

石井:風景も…、風景こそ誰が撮っても同じって思われるかもしれないけど、やっぱり違うんです。どこを切り取るか、どの瞬間を切り取るかで全然違ってくる。風景写真を今回初めて見たって方が多くて。ライブ写真や東北の写真は多くの方が見てくださってるんですけど。原点を知ってもらえたのは凄く嬉しい。

──今回の展示の中で最初に撮影したのが、街の路地を背景とした「黒猫とおじいさん」。どこの街なんですか?

石井:パリです。黒猫と、その向こうにおじいさんがいて。とても惹きつけられて。

──両側に建物があって真ん中の路地に猫とその向こうにおじいさん。片側の建物に日が当たっていて片側は当たってない。いいですよねぇ。

石井:夕暮れ前だったと思います。たまたまちょっと遠くに猫がいて、その先のほうにおじいさんがいて。猫とおじいさんはお互い知らない同士で、気づいてない感じで。

──あとステキな写真が、女性が、顔は見えないんだけど出かけていこうとしてるところかな。タイトルが「羽の色」。

石井:片平里菜ちゃんです。誰もがきっと見えない羽を持っていて、飛ぶも飛ばないも自分次第だと思うんですけど、私にはこのとき、里菜ちゃんに、凄い、ホントに、羽が見えたんですよ。かっこいいし美しい。

──なんか、「行くぞ」って心の声が聞こえてくるように感じました。でも里菜さんは下を向いているし、写真を見た人によって印象は違うかもしれない。

石井:そういうのがいいんです。人それぞれでイメージが沸くような。

光がポジティブで影がネガティブとは限らない

──あと印象的なのが「記憶」。松ぼっくりだけの、凄くシンプルな写真で。

石井:なんでもない写真ですよね。

──個展でお会いしたときにも言いましたが、私、なんだかわからないけど涙が出そうになったんですよ。

石井:妙子さんとお話した後にも、あの写真の前でずっと涙を流されてる方がいて。きっと、その人の生きてきた背景だったり、そのときの心情だったり、そういうのも含めて見てくださってると思うんです。

──心の中にある何かが引っ張り出される感覚というか。私もなんで涙が出そうになったのか。松ぼっくりが子どもの頃を思い出させたのか……。この写真は松の木や松林もないし、空も写ってない。松ぼっくりひとつ小さく写っていて、松ぼっくりを尊重してるって言うと変な言い方だけど(笑)、麻木さんの眼差しでとても独特な写真になっている。

石井:松ぼっくりがひとつあって、それだけでいいと思えたんです。出来上がったポツンとひとりだけでいる松ぼっくりの写真を見て、「記憶」ってタイトルが自然に浮かんだ。もうこれは感覚なんですけど。誰もが何かしら大事な記憶や思い出があるだろうなって、この一枚を見て感じたんです。

──「記憶」ってタイトル、秀逸です。ちょっと突飛なんだけど、だんだん私、SFチックな妄想が浮かんで。地球が滅びて松ぼっくりだけが残って、松ぼっくりは地球の記憶の象徴だって(笑)。『2001年宇宙の旅』とか『猿の惑星』的な(笑)。

石井:うわぁ、面白い(笑)。

──「記憶」ってタイトルじゃなかったらきっとそんなイメージ出てこない。どの写真もタイトルがバッチリで。でもタイトルって難しいですよね。

石井:難しいです。イメージを狭めてしまう可能性もあるし。でも今回、イメージが広がったって言ってくださる方が多くて。

──見た人のそれぞれのイメージでね。

石井:そうそう。それぞれでいいんですよね。写心は写真を写す私の心、撮らせていただいた人の心、そして写真を見た人のそれぞれの心。その三つの心を写すのが写心なんです。なので見た人それぞれの想像が膨らむようなタイトルじゃなきゃって。難しかったですね。でも言葉や文章は好きなので。ひとつひとつ考えるのは大変でしたが楽しかったです。

──どの写真も光と影が印象的でイメージが広がります。

石井:写真って両方ないと写らないんです。光だけだとただ真っ白な写真になるし、影だけだとただ真っ黒な写真になる。1対99でも99対1でも、必ず両方が存在しないと映らない。でね、実際に撮っていて、影を写していても光が感じられたり、光を写したら影が際立っていたりすることがあるんです。光と影のあり様って本当に様々で。光だからって明るいだけじゃないし、影だからって暗いだけじゃない。あ、これ……、今回の写真展に出している最新作なんですけど、満月が木の枝を照らしていて、照らされた枝が、また満月を照らし返しているように見えて。凄いものを見た! 凄いのが撮れてしまった! って思って。私、子どもの頃からずっと気になっていたのは、光はいつも照らすばかりで、光は誰に照らされるんだろう? って。子どもの頃から気になってたことがこの月と木の枝の写真で、光もちゃんと照らされているんだ! って。

──確かに! 月によって輝きを得た木の枝が、その輝きで月を照らしているように見えます。でもこの景色を撮影するとしたら、木の枝が邪魔だって思う人が多いと思う。やっぱり麻木さんならではの眼線、眼差し。麻木さんならではの表現だなぁ。展示の中で光と影の、ちょっと対照的なタイトルの二枚の作品がありましたよね。

石井:「光の孤独」と「影の居場所」。光と影っていうと、光は明るくて影は暗いってとると思うんですけど…。

──光は明るい役割、影は暗い役割って、役割が決まってるっていう(笑)。

石井:そうそう。私は逆を考えることがよくあって。光もきっと悲しいことがあるんじゃないかって。悲しかったり寂しかったり。太陽は高いところにいつもひとりでいて照らしてばかりで。

──照らしてばかりで疲れるわっていう(笑)。

石井:そうそう(笑)。影は影で実は気持ちいいのかもしれない。影だからって暗くも寂しくもないかもしれない。

──麻木さんの写真は、光と影には様々な表情があることに気づかされます。

石井:ありがとうございます。で、人もそうだと思うんです。誰もが光と影の両方を持っている。でも光はポジティブ、影はネガティブっていう見方だけだと見落としてしまうこともあると思うんです。

──そうですよね。明るく見えても悲しかったり、無口で怖そうな人が優しかったり。

石井:ですよね。ポジティブだけでもしんどいし、ネガティブだけでもまたしんどい。どっちもなきゃ人は生きていけないと思うんです。そういうことは、いろいろな場所で人を撮らせていただいてきたことで気づいたことだと思います。

大きな転機となったカンボジアでの経験

──カメラを通して、いろんなものを見ていろんな経験をして。

石井:17歳の頃は、写真というのは自分の心が写るんだってことに驚いて、それだけだったんですけど、だんだん人を撮らせてもらうようになって、向き合うとはどういうことかを知って。人を撮らせていただくのは、一番楽しいし、一番難しいし、一番怖いんです。ファインダー越しの数秒間、数分間でもぐったりするぐらいのエネルギーを使う。

──個展ではカンボジアの写真もスライドショーで見られます。カンボジアの経験は大きかったでしょうね。

石井:はい。それはもう。とても大きな、転機となった経験です。カンボジアに初めて訪れたのは2009年。地雷原と呼ばれるところに初めて足を踏み入れて。そこらじゅうに地雷が埋まってる、でもそこにしか住む場所がない人がいて。明日にでも一家心中を考えているってご夫婦に出会って。2人とも片脚を失っていて仕事もない。日雇いの仕事を見つけられればその日のご飯は食べられるっていう、本当に一日一日を、文字通り一日一日を生きておられて。何かできないだろうかって帰りの飛行機でもずっと考えていたら、仲間がNPOを立ち上げようって。それで、地雷原を4ヘクタール購入して、そこの地雷を全部撤去して。

──凄い。命がけですよね。

石井:はい。命を落とすこともあり得ますって書かれた書類にサインして。その4ヘクタールから地雷がふたつ見つかって撤去しました。たったふたつでも、もしかしたら起こってしまったかもしれないふたつの悲しみを防げたかもしれないと思って。で、地雷を撤去した場所にオーガニックコットンの種を植えて、そこに暮らす地雷被害者の人たちが収穫して、もともとカンボジアの伝統だった手紡ぎ糸と織物を復活させて。「足がなくても手が使える! できることがあった!」って喜んでくれて。

──仕事をしてもらうっていうのがいいですよね。それこそ尊重、尊厳ですよね。

石井:そうですよね。自分たちの力で収入を得る、それって人間の尊厳ですよね。ただ与えられるだけではなく、仕事をするってことで、人間として大事な部分を取り戻すことができるんじゃないかと。彼らが織ったものを、ストールやタオルやハンカチといった製品にして日本で販売し、その収益を全額彼らに届ける。カンボジアには2009年から2017年まで毎年行っていました。その後は日本のオーガニック企業と繋げることができたので役割を終え、NPOを閉じました。

──写真を撮ることが目的でもあった?

石井:カメラは待っていきましたが撮るために行ったんじゃなく、何かできることはないか、そればかり考えてました。撮ることには何かを残せる役割があるっていうのは後で気づかされたことで。

──そして写真を撮っていきますが、最初は迷いがありました?

石井:ありました、凄く。最初は足を失った方にむやみにカメラを向けるのは、とてもじゃないけどできなくて。もしそれで人が傷ついてしまうなら撮らないほうがいい、撮りたくない。カメラを暴力には絶対にしたくない。そう思っていたのですが、子どもたちが、「写してー! 写してー!」って。そして足を失った方たちも自ら笑顔を向けてくださり。

──みんな表情豊かで、凄くいい笑顔ですよね。

石井:子どもたちもあんな笑顔なのは、カメラを初めて見たからなんですよ。「それ何? 何?」ってみんな寄ってくる。子どもだけじゃなくおばあちゃんも。「写して! 写して!」って。で、紙焼きした写真を次に行ったときに持っていったら、「初めて見たー!」って、一枚の写真を裏返して見たり透かして見たり。凄く喜んでくれて。

──過酷な場所であっても、カメラは人を笑顔にできるんだって。

石井:そうなんですよ! 暴力じゃなく、笑顔にすることができた。ただ、過酷な場所ではあるんですけど、みんな100%で生きてるんです。子どもたちなんか本当に。ゲームもおもちゃもない。遊びの道具はぼろぼろの段ボール。一枚の穴のあいた段ボールで一日中遊んでるんです。段ボールに乗って滑ったり、メコン川に飛び込んで朝から日が暮れるまで遊んだり。それを見て、凄く豊かだなって。何もなければないほど、この子たちの中には何もかもがあるんだって。これが本来の生きる力なんだって。かっこいいと思ったんです。子どもたちの真っ直ぐでキラキラした眼。なんかもう、全部見抜かれてるような気持ちになって。こっちも夢中でシャッターを切ってました。

──もちろん、戦争や内紛などあってはいけないんだけど、そこで生活せざるを得ない人に対して同情や哀れみではなく、なんていうか…、生きる姿と向き合うというか…。

石井:そうなんです。先入観だったり、安全なところにいる自分の状況を重ねるからなのか、過酷な状況でかわいそうって思ってしまいがちだけれど、彼らは彼らの100%で生きてるんです。そこと向き合いたいくて。

──それこそ尊重ですよね。

石井:そう思います。

小さな画面で見る「画像」ではなく、紙焼きの「写真」を見てほしい

──今回、カンボジアの写真も見ることができて良かったです!

石井:良かったです! カンボジアの写真展を2011年の3月に開催予定で、設営しているそのときに東日本大震災が起きたんです。

──わ、そうだったんですか。

石井:それまでカンボジアの写真展を各地でやっていて、次は東京開催っていうタイミングでその設営中に。写真展は一旦中止にして。そこから東北に向かうようになって。東北とカンボジアは全然違うんですけど、重なってしまって。そこにしか今いる場所がないっていう、選択肢がほぼない状態というのが…。自分に何かできないかって考えて。そのときに、「この状況を、写して伝えてほしい」って、避難所の方から声をいただけて。それが写真にできることだって気づかされたんです。

──津波で家が流されて、軽トラックで生活されていたご夫婦と出会ったことも…。

石井:そうなんです。着の身着のまま避難し、軽トラックで1カ月以上も寝泊りされていたご夫婦と出会って、「写真もアルバムも全て流されてしまった。新しい一歩を踏み出したい。最初の一枚を撮ってもらえませんか」って声をかけていただき。カメラに向けてくださったのはやわらかく素敵な笑顔で。

──なんか、凄いですよね。人間って凄い。

石井:でね、もうひとつ凄い出来事があるんです。東日本大震災の後、カンボジアの人たちが「大丈夫か?」ってすぐに連絡をくれたんですよ! 村中で義援金を集めたって言って、8万円を送ってくれたんです。地雷原で暮らす彼らの年収を超える金額なんです。もう大金ですよ。働いて働いて得た貴重な8万円を、お守りと一緒に届けてくれて。もう、その気持ちが、堪らないですよね。金額じゃない、想いの大きさに涙が止まりませんでした。自分の明日がどうなるかわからないのに、遠い日本の顔も知らない人たちのために。日本は寒いんじゃないか? って、きっと想像して。大切に避難所に届けに行って、凄く喜んで受け取ってくれて。「こんなにも尊い8万円は初めてだ」って。もう、人って凄いですよね。人の心って凄い。人の心を信じ続けたい。それが東北の活動を続ける理由にもなってます。

──はぁ、凄い話を聞かせてくれてありがとうございます! 『20年の眼』は麻木さんの原点であり、現在であり、未来の予感なのですね。

石井:ありがとうございます。この10年間、全国をまわっている東北の写真展『3.11からの手紙/音の声』は「伝えたい」写真展なので、ありのままを写したものをありのまま伝える写真展で。私の中では震災を作品とかアートにはしたくなくて、ドキュメンタリーなんです。今回の『20年の眼』は自分の原点であり作品、アートとしての個展で。ただただ作品を「見てほしい」っていう気持ちです。小さな画面で見る「画像」ではない、紙焼きの「写真」を見てほしいです。

──麻木さんの写真は幅広いんだけど、でも麻木さんの「眼」をどの写真にも感じました。やっぱり麻木さんの写真だー! って(笑)。

石井:自分でも、自分の目線、眼差しは、本当に変わってないんだなって思いました。改めて20年間の写真を見るといろいろ思い出して。その時々の自分の心が蘇ってくるんですけど、本当に大事にしているものを、大事な気持ちを、その時々でちゃんと写してこれていたんだって。前に身体を壊してカメラを持てなくなったとき、カメラを置くことを本気で考えた時期があって、実際、一時期カメラを置かせていただいたのですが、そうすると今度は心が壊れてしまって。写したいのに写せない、そんな苦しいことはなくて。なので今は身体と相談しながら本当に写したいものだけを写させていただいていますが、本当にどうしてもカメラが持てなくなる日が来るまでは、この先も惹かれるものを写せる限り写し続けていられたら幸せです。

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