ウクライナの人が幼い頃から食べる家庭の味「ブリンチキ」。もちもちとしたクレープ風の生地が特徴で、挟む具によってスイーツにもランチにもなる万能メニューだ。ロシアの軍事侵攻を受けて3月に滋賀県彦根市へ避難したウクライナ人女性、イリーナ・ヤボルスカさん(51)はこの夏、キッチンカーでブリンチキの販売を始めた。
「言葉は通じなくても、食なら気持ちを交わし合える」。ウクライナと日本の架け橋になろうと奔走するイリーナさんの半年を、秘伝のレシピとともに振り返る。(共同通信=小林磨由子)
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▽「役に立ちたい」
イリーナさんの自宅は、激戦地となった東部ハリコフ州にある。戦況の悪化で避難を強いられたイリーナさんは、夫を残したまま、母のギャリーナ・イバノバさん(81)とともに隣国のポーランドに逃れたが、避難民であふれたこの場所では仕事も住居も見つからなかった。何とか暮らしを立て直そうと、日本で暮らす娘のカテリーナさん(32)と菊地崇さん(29)夫妻を頼って来日し、3月下旬に2人が住む彦根市へたどりついた。
滋賀県が運営する宿泊施設で暮らすようになってまもなく、助けてもらってばかりの毎日がイリーナさんの心に影を落とすようになる。一方的に義援金をもらって生活するのではなく、自分も誰かの役に立ちたい。支援してくれる人たちへの「ありがとう」を形にして返したい。そんな自立した暮らしを追い求める中でひらめいたのが、キッチンカーでウクライナ料理を販売することだった。
キッチンカーがあればさまざまな場所に行くことができる。得意の料理を通じて日本人にウクライナのことを知ってもらえるし、言葉が十分に通じなくても感謝の気持ちは伝わるはず。イリーナさんの思いをくんだカテリーナさんや支援者の協力を得て、7月に本格的な営業を始めた。看板メニューに選んだのは、カテリーナさんが初めてハリコフの実家に菊地さんを連れてきた時、イリーナさんが振る舞ったブリンチキだった。
▽身ぶり手ぶりで息もぴったり
9月上旬、彦根市内にあるホテルのキッチンを借りて仕込み作業をするイリーナさんたちを訪ねた。調理場には「ブーン、ブーン」というブレンダーの音が響き、ほんのりと甘い香りが漂う。大きな窓からは日の光が差し込み、柔らかな明かりが部屋の中に満ちていた。
生地を手早く焼き上げるイリーナさん。その隣では、来日後に知り合った牛場美加さん(52)と増田茉耶さん(27)親子が、具材となるチキンやサケを調理していた。言葉は通じないが、身ぶり手ぶりのコミュニケーションで息はぴったりだ。
「ブリンチキの作り方を教えてほしい」とお願いすると、笑顔で快諾してくれた。レシピは以下の通りだ。ただし、生地の決め手になる細かい分量は企業秘密。もちっとした食感を目指して材料を加減するのがコツだ。
【生地】
材料は小麦粉、卵、牛乳、砂糖、水、油。まずは、材料をよく混ぜる。熱したフライパンに油をひき、お玉ですくった生地を流し入れ、少し厚めに丸く広げる。15秒ほど待って、生地の端が固まってきたら、ひっくり返す。両面にうっすらと焼き色がついたら完成だ。
二つのフライパンを同時に使い、次々と焼き上げるイリーナさん。あっという間に丸い生地が20枚ほど積み上がった。通常はクレープのような卵色になるが、ペーストしたホウレンソウを混ぜ込めば、鮮やかな緑色の生地ができる。
【中身の具材】
チキンは角切りの鶏モモ肉をローリエ、粒こしょうとともに煮込む。しばらくしたら火を止めて、余熱で火を通し、ブレンダーでミンチ状にする。みじん切りにしたタマネギをあめ色になるまで炒め、鶏肉と混ぜ合わせる。
サケは、大きめの切り身を、白ワインとレモン汁、ローリエと一緒に火にかける。こちらも、しばらくしたら火を止めて、余熱で火を通す。ブレンダーで細かいフレーク状にしたら、塩こしょうで味を整える。
【巻き方】
生地の中央より少し手前に具材を載せ、春巻きと同じ要領で手前から包み込んでいく。半分ほどくるんだところで、生地の左右を中央に向かって折りたたみ、最後まで巻く。サケを具材にする時は、ホウレンソウを混ぜた生地がおすすめ。大さじ1杯程度のクリームチーズも一緒にトッピングする。
ランチ向きの具材はこの2種類だが、キッチンカーで販売する際はたっぷりのカッテージチーズにレーズンを加えて巻いたスイーツメニューも用意している。冷やして食べるのもおいしいという。
▽取り戻した笑顔、今も気がかりなのは…
取材中は終始にぎやかな輪の中にいたイリーナさんだが、避難したばかりの頃は表情も固く、笑う姿はなかった。来日直後の記者会見では、母国のことに話が及ぶと言葉に詰まり、ハリコフを出た時の心境を聞かれた際は涙を浮かべて「話したくない」とうつむいた。
それから半年、前を向いて進もうともがくうちに、多くの仲間ができた。「キッチンカーでブリンチキを売りたい」と言えば、地元の企業などが営業する場所や車両を調達してくれた。開業資金を募ったクラウドファンディングでは、目標額の1・5倍となる約530万円が集まり、自前の車両も購入することができた。
念願の「マイキッチンカー」を手に入れたイリーナさんには、もう一つの目標があった。それは、言葉の壁で苦労している他のウクライナ避難民のために、一緒に働いたり集まったりする場所として「二つ目の店舗」を持つこと。避難民の多い大都市圏で出店できないかと検討していたところ、運良く「東京で店を出さないか」と声がかかった。
渡りに船とばかりに準備を急ぎ、8月には東京・丸の内で2号店を開いた。店に立つのは首都圏で暮らす7人のウクライナ人。カテリーナさんが避難民向けに始めたオンライン日本語講座や、SNSを通じて知り合った人たちだ。
販売当日や前日の仕込みには、滋賀県内に避難した他のウクライナ人らも手伝いに加わる。ウクライナ語と日本語が飛び交う調理場で、イリーナさんは「お客さんからおいしいと言ってもらえること、そして皆と一緒に働けることがとてもうれしい」と笑顔を見せた。
半年前と比べ、生き生きとした表情で語るようになったイリーナさんだが、今も気がかりなのはハリコフに残った夫の安否だ。毎日のように連絡を取り合い、キッチンカーの状況を伝えたり、アドバイスをもらったりしている。一方で、彼女自身がウクライナの現状について周囲に話すことはほとんどない。近くで暮らす菊地さんは「僕らが想像するよりも、ずっとずっとつらい思いをしているんだと思います」と胸の内をおもんぱかる。ある時の取材では「一刻も早く戦争が終わって、今までのような生活ができることを願っている」とだけ短く答えた。沈んだ声と険しくなる表情に、言葉以上の思いがにじんでいた。
▽一つの料理を愛する二つの国
取材後、職場で記事をまとめていると、上司に声をかけられた。「ブリンチキはウクライナだけの郷土料理じゃないよ。ロシアでも皆が食べるし、ありふれた家庭料理の一つでしょ」。この上司はモスクワを拠点に、ロシア国内はもちろんウクライナでも仕事をしたことがある元特派員だ。インターネットで調べてみると、たしかにロシア料理として紹介する動画もあるし、作り方も一緒だった。
同じ郷土料理を愛する二つの国―。ウクライナとロシアの間には、目には見えなくても強い結びつきあるのだと改めて感じた。激しい戦闘の先行きは見通せないが、イリーナさんが誕生日を迎える来年の5月には収束していてほしいと切に願う。「その時には、イリーナさんが家族全員とブリンチキを囲んで祝うことができますように」。取材で目にした優しい笑顔を思い浮かべながら、そう願った。