いのちとは、残された時間のことではない。

福岡でいちばん企画書を書いてきたプランナー・中村修治さんが読者のお悩みにオモシロオカシク答えてくれます。「あー、あるある」「そっか、もうそんな感じでいっか」などなど、生きにくい日々をライトに潜り抜けるためのヒントになったりならなかったり!?ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください!

相談者>>>>>>>>

いずれ太陽とともに地球はなくなるとわかっているのに、やれ功績だ金だ長生きだと欲にまみれてしまうのはなぜだと思いますか?
僕は立派な墓が建ったとしてもそれすらも塵と化すことが確定しているのだから、明日死んでももういいやと思うようになってきました。
なんでみんな生きてるんでしょうか?

<<<<<<<<ワタシの回答

死ねないから生きているんだよ。

“いのちとは、残された時間のことである”
・・・んなことわかってるよぉ。
・・・んなことわかってるけど眠くなるんだよぉ。
・・・んなことわかってるけどAVも観ちゃうんだよぉ。
・・・んなことわかってるけど後回しにしちゃうんだよぉ。

残ってるのが少ないこともわかってても・・・んなもんなんだよぉ!?。
そんな「残り少ないいのち」もあるんだよぉ!!
カッコイイことばかり言いやがって、、、馬鹿野郎ぉぉ!!
何度も言っとくけどなぁ、・・・んなことわかってるんだよぉ!!
「いのち」はなぁ、別に、カッコなんて良くなくていいんだよぉ!!

明日死んでもいいと言いながらも、
結局、死ねないから生きているんだよぉ!!
そうやって、みんな途中で死んでいくんだよぉ!!

賢い人たちは、整理したがります。
整理することが、仕事だと思っています。
コンサルタントって方々のほとんどは、その類です。
すげぇながーい目で見たら、人類も、地球でさえ滅びます。
こんなわかりやすい“答え”は、ありません。
あなたもきっと賢いのでしょう!?

しかしね!?
明日死にたいのに、なかなか死ねないって凄いことなのですよ。
わかります!?

大事なのは、
この混沌に耐えてこそです。
ずっとモヤモヤしていることです。
混沌としたまま放置できる耐久力に、知性は宿ります。

明日にでも死にたいのに、死ねないという状況に身を置いていたら、
いきなりなんかつながりはじめます。
そのうちに、生きるという幹は太くなります。

“いのちとは、残された時間のこと”ではありません。
“いのちとは、死ねないことに抗う時間”だと思うのです。

死んでるみたいに
生きていけば
いいのですよ!?

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