「ローカル線こそ未来の文化パラダイス」JR東日本が鉄道開業150年で記念セミナー【コラム】

基調講演とパネルディスカッションに参加した森地教授、岸井所長、内田室長、喜勢副社長=左上から時計回り=(筆者撮影)

改めて紹介するまでもなく、今年は「鉄道開業150年」。地方ローカル線問題など課題山積の中で、鉄道会社は節目の年をどうとらえ、将来展望を切り開こうとしているのでしょうか。その答えの一端が示されたのが、JR東日本が運輸総合研究所との共催で2022年9月21日、JR東京駅のステーションコンファレンス東京で開いた「鉄道開業150年記念セミナー」です。

国土交通省が後援したセミナーのタイトルは、「文明開化・技術革新の先駆者たる鉄道と発展する都市の歴史と未来」。汽笛一声からの1世紀半、鉄道が日本の発展にどのように貢献したかを検証し、次の時代を展望する目的です。本コラムは、基調講演やディスカッションから主に「鉄道の未来」にスポットを当て、鉄道ファンの皆さんの心に届きそうな話題をピックアップしました。

鉄道150年の歩みを検証

最初に記念セミナーの〝スペック〟。鉄道開業150年では、既に多くのメモリアル商品やツアーが登場済みですが、JR東日本は「節目の年に鉄道の歩みを検証する取り組みも必要」と考え、セミナーを企画しました。会場参加のほかオンラインでも中継され、約1500人が視聴しました。

主なプログラムは斉藤鉄夫国土交通大臣のあいさつに続き有識者お2人。政策研究大学院大学の森地茂客員教授・名誉教授、計量計画研究所の岸井隆幸代表理事が基調講演。パネルディスカッションには、パネリストとしてJR東日本から喜勢陽一代表取締役副社長、内田まほろJR東日本文化創造財団文化創造棟準備室長が加わりました。

高輪ゲートウェイシティ文化創造棟のキュレーター

まずは「鉄の道で、文化を運ぶ」と題した内田室長のプレゼンをご報告します。

JR東日本が、山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅周辺で、大規模再開発「高輪ゲートウェイシティ(仮称)」に取り組むことは既報の通り。内田室長は、再開発の目玉・文化創造棟のプロデューサーを務めます。

前職は東京・お台場の日本科学未来館のキュレーター(企画担当者)。JR東日本への移籍後は、精力的に管内線区に乗り鉄するそうです。

「鉄道最大の魅力は全国につながるフィジカルネットワーク」(内田室長)

内田室長の〝推し鉄〟は、何より地方ローカル線。「鉄道最大の魅力は150年かけて築いた、全国につながるフィジカルネットワーク。ローカル線こそ未来の文化パラダイス」と、力強く宣言しました。

フィジカルは本来、「物質」「物理的な」といった意味ですが、最近は音楽配信に対するCDやレコードをフィジカルメディアと呼ぶように、仮想のインターネットの反対語として使われるようです。

プレゼンでは、フィジカルとしての鉄道の可能性を「定時性」「専用軌道」「事故が少ない」「飲食できる」「水・電気・トイレ完備」「安価」「環境負荷が少ない」「誰でも乗れる」の8つのキーワードで言い表しました。

乗る人が少ない=希少性、何もない=絶景・チル

ただ一方で、地方ローカル線には「乗る人が少ない」「本数が少ない」「何もない」「雪や雨の影響(を受けやすい)」「無人駅」「秘境駅」といった弱みがあるのも事実です。

この点について内田室長は、「乗る人が少ないは、見方を変えれば『オリジナル(希少性)』。同様に、本数が少ないは『ゲーム的』、何もないは『絶景・チル(ゆっくりくつろぐ)』、雪や雨の影響は『五感・冒険』、無人駅は『レア』、秘境駅は『非日常』と言い換えられる」と、弱点を魅力に変えるキーワードを披露しました。

独自の言葉で地方ローカル線の魅力を解き明かした内田室長のプレゼン(資料:鉄道開業150年記念セミナーの講演資料から)

内田室長がローカル線の旅で残念に思うのは、「お客さまの多くが鉄道ファンとおぼしき男性で、女性やファミリーはほとんど見かけない」。ちなみに、おすすめのローカル線は「冬季の北上線や五能線」だそうです。

プレゼンに対しては、「魅力だけで、ローカル線を運営するのは難しいのでは」の質問も出されました。確かにその通りとは思いますが、JR東日本の部内に地方ローカル線に肯定的な考え方を持つ方がいることは、記憶しておいていいでしょう。

「ゲートウェイシティを社会課題解決の実験場に」(喜勢JR東日本副社長)

らせん状の外観が特徴的な高輪ゲートウェイシティの文化創造棟。外装デザインは新国立競技場などで知られる建築家の隈研吾さんが手がけます(資料:鉄道開業150年記念セミナーの講演資料から(喜勢副社長))

JR東日本の喜勢副社長は、品川開発の責任者。同社が次の10年で目指すのは、「リアルな鉄道ネットワークと、交流拠点になる駅を活かし、外部の技術・知見を組み合わせてサービスを創造する企業」です。

現代社会には、少子高齢化や人口減少への対応、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)をはじめとする新規技術の導入など、解決を迫られる難題が溢れています。それらの解決策を、ゲートウェイシティから発信するのがJR東日本の企業姿勢です。喜勢副社長は、「高輪ゲートウェイシティを社会課題解決の実験場に」と話しました。

JR東日本が高輪ゲートウェイシティで目指す社会課題解決の一例がこれ。同社は2021年11~12月、高齢者の外出手段確保、駅からの2次交通手段として小型カート「グリーンスローモビリティ(グリスロ)」の実証運行を実施しました(筆者撮影)

お雇い外国人は明治時代の〝助っ人〟

鉄道150年の歩みを検証した有識者お2人の基調講演にも、ワンポイントずつ触れましょう。

明治初期の鉄道黎明期・日本の鉄道整備に貢献したのがお雇い外国人。森地教授によると、1868年から1890年までに来日した外国人土木・建築技術者167人のうち約3分の1の59人が鉄道分野の技術者だそう。鉄道は測量(31人)、通信・鉱山(各14人)などを抜いてトップで、明治政府がインフラ整備で、鉄道をいかに重視していたかがうかがえます。

お雇い外国人で政府が苦労したのは、現代の貨幣価値に直せば月額1500万円という高額な報酬。日本滞在は最長でも3年間程度に限られました。私が思うに、お雇い外国人は現代でいえば、プロ野球やサッカーJリーグの外国人助っ人選手だったのかも。

私鉄や地下鉄のネットワーク整備が東京都心の街づくりを分散化

1960年代初頭の新宿駅西口。まだ小田急百貨店本館はなく、東口が見通せます。1967年に全面開業した百貨店本館は2022年10月2日で営業終了。小田急電鉄と東京メトロは跡地に48階建ての複合高層ビルを建設します(画像:鉄道開業150年記念セミナーの講演資料から(岸井所長))

もう一人の基調講演者の岸井所長は、交通工学や都市計画が専門。戦前の東京は、東京駅を中心とする大丸有(大手町・丸の内・有楽町)の一極集中でしたが戦後、私鉄や地下鉄のネットワーク整備に連動して、新宿、渋谷、池袋へと東京都心は広がりをみせました。

渋谷は1965年のNHK移転(転入)、新宿は同年の淀橋浄水場移転、池袋は一足遅れた1978年のサンシャイン60竣工が、地域再開発にインパクトを与えました。

東京で、今後の発展が期待されるのが品川エリア。JR東海のリニア中央新幹線、JR東日本の高輪ゲートウェイシティ、そして先日、正式決定した東京メトロ南北線の品川延伸と、ここでも鉄道が地域開発の推進機能を受け持ちます。

「国鉄三江線のレールに、見知らぬ地への思いはせる」(斉藤国交相)

最後に、斉藤国交相の来賓あいさつを短くご紹介します。趣味の欄に「鉄道」と書くほどの斉藤大臣は、島根県邑南町の出身。2018年までJR三江線が通っていました。

「子どものころ、駅で線路を見て『この線路が遠くにつながっている』と思いをはせた」と思い出を披露しました。「遠くにつながる線路」――それが150年前も今も変わらない鉄道の魅力なのかもしれません。

JR東日本と運輸総研の鉄道開業150年記念セミナーの紹介は以上。鉄道の歩みでは書き漏らしたこぼれ話も多数あるので、機会をいただき続編の形でご紹介できればと思います。

記事:上里夏生

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