配備撤回を全県運動に 総理直訴へ超党派で支援 オスプレイ配備10年 沖縄平和運動センター事務局長の岸本さん

 オスプレイ配備から10年。2012年の配備反対の県民大会で高まった機運は、東京要請行動や安倍晋三首相(当時)への建白書の手交につながった。事務統括を担った沖縄平和運動センターの岸本喬事務局長にいきさつを聞いた。(肩書は当時) ―大会開催の経緯は。

 「県議会が2012年6月に配備撤回の決議を全会一致で可決したことが大きかった。全会派で「県民大会だ」という流れになった。1995年の県民大会の経験もある県政野党の玉城義和さんが局長、与党自民党の県連幹事長の照屋守之さんが次長で事務局が発足した。県市長会と県商工会連合会、連合沖縄、県婦人連合会が共同代表に、各業界団体が実行委員に加わった」

 ―建白書と東京要請行動に至った流れは。

 「配備の日から連日早朝に普天間飛行場野嵩ゲートで抗議集会を開き、翁長雄志那覇市長ら共同代表も参加した。一連の行動の最後に41市町村長から署名を集め野田佳彦首相に訴える『野田総理直訴行動』を計画し、自民と公明会派、市長会や町村会から同意を得た。その後、内々に玉城局長から名称は『建白書でどうか』と提案があった」

 ―署名集めの難しさは。

 「首長も議長も全県的な背景があったから署名できたのだと思う。ただ、一部は気が進まない様子で、翁長さんが粘り強く説得した。上京前日に全てそろった」

 ―就任間もない安倍首相に手交した。

 「自民の照屋さんは『(直訴を)やると約束した以上、責任持つ』と言ってくれた。県連会長の翁長政俊さんは一緒に上京した後、石破茂幹事長と面談し、首相に建白書を直接渡せるよう何度もお願いしてくれた。前日まで外務、防衛、沖縄担当相には会えるが、官邸では官房長官に渡すことになっていた。首相に直接手渡すことができたのは、彼らのおかげだ」

 ―銀座で代表団にヘイトスピーチもあった。

 「当日、警視庁の担当者から『かなりひどい状況になる。中止もあり得るかもしれません』と言われ、行進を中止すべきか悩んだ。ヘイトはあまりにひどかった。その日の夜の懇親会では、みんな打ちひしがれていた」

 ―一連の動きを振り返って、どう思うか。

 「普天間飛行場のある宜野湾市だけの問題にせず、全県的な運動にしたのはすごいこと。やろうと思えば成し遂げられる。本当の県民運動になった。しかし、今は辺野古が県民を分断してしまっている。先島へのミサイル配備も進む。PFAS・命の水の汚染問題もある。今後の展望を考えていく必要がある」

(聞き手 中村万里子)

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