<南風>私は誰だろう?

 65歳で夫を見送った女性が、映画を撮ることを決めて奮闘する、という作品に出合った。まずは65歳という年齢に驚き、そしてワクワクした。高齢者といわれ始める年齢で、「本当にやりたいこと」に出合った人の物語である。人生の店じまいではなく、今だからこそチャレンジしたい、という熱い思いの行き先を一緒に見たいと思い、今後の展開を楽しみにしている。

 発達心理学者のエリクソンは、65歳までの中年期を「世話」の時代とし、我が子をはじめ、次世代を育てる年代と位置付けている。

 一方、高齢期は「人生の統合」がテーマであり、人生の総仕上げをする「英知」の時代とされている。私自身、中年期となり、10代の子どもの親となって、小さな子どもを育てていたころとは違う悩みや迷いと向き合っている。

 一番の変化は、何といっても肉体を中心とする衰退を思い知ることである。できたことができなくなる、という変化はなかなか受け入れがたく、誰より自分が一番驚き、持て余している。

 中年期の初心者から、中堅に仲間入りし、いずれ来る老年期を考える時、ふと懐かしい感覚を思い出した。「私は誰だろう。いつ大人になるんだろう」。高校生・大学生の頃は、大人になることが想像できずいろいろなことを先延ばしにしていた。大人になることが想像できなかった私は、中年になることも、高齢になることも、やはり想像できずにいるのである。

 「私は誰だろう。いつ中年になったんだっけ? これからどこへ行くのだろう」。

 そんなことを人生が半世紀を過ぎた今でも考えている。人生の船のオールを持ち続ける覚悟も、年老いていく覚悟もあるが、どこかでまだ、何かがくすぶっているようだ。だから、この先を照らすきらめきが、いつやって来ても良いように準備をしておこうと思う。

(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)

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