プロサッカー選手のほとんどはデビューした当時のポジションのままでプレーし続けるものだが、時にはそれを変更することによって成功を収める者も。
今回は、『Sportskeeda』から「コンバートによって選手としてのキャリアを好転させた伝説の選手たち10名」をご紹介する。
ジョン・チャールズ
クラブ:リーズ・ユナイテッド、ユヴェントスなど
国籍:ウェールズ
1940年代から60年代にかけて活躍したウェールズ伝説の選手。17歳で練習生として参加したリーズ・ユナイテッドでプロになると、センターバックとしてデビューした。そして従軍を経験した後1951年にリーズへ復帰し、その後センターフォワードに本格的にコンバートされた。
その直後の6試合で11ゴールを決める活躍を見せて才能をさらに開花させると、1953-54シーズンにはなんと39試合で42ゴールという信じられないような記録を達成した。
そして1957年には当時のイギリス記録となる移籍金でユヴェントスへ。イタリアでも得点王になるなど活躍を見せ、1997年には「クラブの歴史上最高の外国人選手」に選ばれている。
フランツ・ベッケンバウアー
クラブ:バイエルン・ミュンヘンなど
国籍:西ドイツ
1964年にバイエルン・ミュンヘンが西ドイツのトップリーグに昇格した時、非常に才能ある左ウイングが活躍していた。そして彼は1966年のワールドカップにも出場し、攻撃的MFとして4ゴールを決めた。
しかしその決勝戦が、その若きベッケンバウアーの運命を変えた。ボビー・チャールトンを止めるため、中盤の奥深くで守備をするよう言われたからだ。この日は成功しなかったが、その後本格的にリベロへと転向する。
それにより、彼は西ドイツの「カイザー」として台頭。最終ラインからボールを持ち上がる攻撃力、そして落ち着きにあふれるディフェンスとリーダーシップ。それが彼を世界最高の選手にした。
レイ・ケネディ
クラブ:リヴァプールなど
国籍:イングランド
レイ・ケネディは1974年にリヴァプールと契約した選手。当時は強く、たくましく、並外れたヘディングを叩き込むストライカーとして知られていた。
しかしリヴァプールに加入したときには、ケヴィン・キーガンとジョン・トシャックがいたためにベンチが定位置に。そこでボブ・ペイズリー監督は「中盤でプレーしないか?」とコンバートを勧めた。
それを信じたケネディはミッドフィルダーに転向。左サイドから攻撃を司るマエストロのような選手に変貌し、クラブの70年代における大きな成功を導いた。
ポール・スコールズ
クラブ:マンチェスター・ユナイテッド
国籍:イングランド
1995年にマーク・ヒューズがチェルシーに移籍した後、マンチェスター・ユナイテッドは質の高いストライカーの不足に直面した。さらにエリック・カントナが怪我をしたため、アレックス・ファーガソン監督は若きスコールズをアンディ・コールとともに前線で起用して成功を収めた。
そして1997年にロイ・キーンが怪我をしたことをキッカケに、スコールズはそのボランチのポジションにコンバート。深い位置から完璧なタイミングで前に出てくる彼の才能は、まさに中盤のボックス・トゥ・ボックスMFとして最適だった。
ティエリ・アンリ
クラブ:アーセナルなど
国籍:フランス
モナコがティエリ・アンリと契約した時、監督のアーセン・ヴェンゲルはそのスピードと巧みなボールコントロールを生かすために左ウイングとして起用。その活躍から1999年にユヴェントスへと移籍した。
しかしセリエAに適応できなかった彼はアーセナルへ移籍し、アーセン・ヴェンゲル監督と再会。そしてニコラ・アネルカが怪我をしたため、彼はストライカーとして起用されることになった。
電撃のようなスピードとビロードのようなボールタッチを組み合わせた彼は、素晴らしいゴールスコアラーとして開花している。
アンドレア・ピルロ
クラブ:ブレシア、ミラン、ユヴェントスなど
国籍:イタリア
16歳でブレシアのトップチームでデビューしたピルロは、早熟な才能を持っている攻撃的ミッドフィルダーとして活躍。それに目をつけたインテルに引き抜かれたものの、トップチームに絡めずにレッジーナへ貸し出され、ブレシアに戻ってきた。
そこで彼が目にしたのはトップ下で活躍するロベルト・バッジョの姿。そのためピルロは自身のポジションを失ったものの、カルロ・マッツォーネ監督は彼をボランチで起用することを決めた。
低い位置からゲームを組み立てる「レジスタ」として再ブレイクした彼は、後にミランへと移籍。正確無比の長距離パスを武器にセリエAとチャンピオンズリーグを席巻した。
バスティアン・シュヴァインシュタイガー
クラブ:バイエルン・ミュンヘンなど
国籍:ドイツ
バイエルン・ミュンヘンのユースで育成されたシュヴァインシュタイガーは、イキイキとしたプレーを得意とするウイングだった。ドリブルスキルと強烈なシュートを武器としていた。
しかし2009年にルイス・ファン・ハール監督が就任し、アリエン・ロッベンが加入したとき、彼はボランチへの転向を余儀なくされる。しかしそこは彼の才能を活かすのに適した場所だった。
巧みなボールタッチとプレーを読む能力によって再ブレイクし、ドイツ代表でも中心的な存在になっている。
ロビン・ファン・ペルシー
クラブ:アーセナル、マンチェスター・ユナイテッドなど
国籍:オランダ
アーセン・ヴェンゲルによるウイング→ストライカーのコンバートは、二人目の世界的な選手を生み出した。フェイエノールトではワガママなドリブラーだったが、アーセナルにやってきたときに中央へと活躍の場を移した。
アジリティとスキルを兼ね備え、ゴールに向かう意欲や完璧なシュートも素晴らしかった。怪我さえなくシーズンを過ごせればかならずゴールを量産できる能力があった。
マンチェスター・ユナイテッドに移籍してからもそのパフォーマンスは維持され、クラブをすぐプレミアリーグ優勝に導いている。
ギャレス・ベイル
クラブ:トッテナム、レアル・マドリーなど
国籍:ウェールズ
育成の名門サウサンプトンユースの最高傑作。左サイドバックとしてトップチームに昇格した彼の圧倒的なスピードは、すぐに有力クラブの注目を集め、そしてトッテナムへと引き抜かれることに。
当初はディフェンダーとして起用されたものの、膝の怪我やブノワ・アス・エコトの存在によってポジションを失い、そしてサイドハーフへとコンバートされることになった。
これはサッカーの歴史上でも屈指の役割変更だった。彼は素晴らしい運動能力を武器に多くのゴールを奪い、レアル・マドリーへとステップを進めることになった。
ヴァンサン・コンパニ
クラブ:マンチェスター・シティなど
国籍:ベルギー
彼がアンデルレヒトで先発出場していたとき、有能な守備的ミッドフィルダーとして将来を嘱望されていた。そのフィジカル能力や試合を読む力が評価され、ダニエル・ヴァン・ブイテンの後任としてハンブルガーSVへと引き抜かれる。
ただドイツでは悩ましいシーズンを送り、2008年にマンチェスター・シティへ移籍。比較的目立たない補強の一つであったが、数年後にはセンターバックとして重要な存在になっていた。
怪我は多かったものの、その安定した守備能力に加えて精神的なリーダーシップに優れ、クラブの絶対的なキャプテンとしても活躍した。