中国「反日」噴出から10年、破壊と暴力の狂乱を振り返る 日中国交50年、過激な「愛国」と高まる日本人気

 今から10年前、日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化を受けて中国では反日感情が噴出、抗議デモが各都市で暴徒化した。日系企業や店舗を襲い、火を放ち、中国人にまで向いた暴力。9月29日で日中国交正常化50年となった節目を機に、関係者の証言で「愛国」の狂乱を振り返ってみた。(共同通信=鮎川佳苗)

北京の日本大使館前で日の丸を燃やす反日デモの参加者=2012年9月

 ▽緊迫の電話、「危険です」

 10年前の9月15日、お昼前頃。出張を終えて中国内陸部、湖南省長沙市の空港に降り立った日系スーパー「平和堂」現地法人の当時の社長、寿谷正潔さん(68)が携帯電話の電源を入れると、部下から緊迫した連絡が入った。「デモ隊が押し寄せています。危険なので会社には帰らないでください」

 少し前から緊張は高まっていた。2012年7月に野田佳彦首相(当時)が尖閣国有化方針を表明すると、「釣魚島」と呼び領有権を主張する中国で反発が拡大。翌8月に抗議活動が複数回起き、一部が暴徒化した。首都・北京市では丹羽宇一郎駐中国大使(当時)の乗った公用車が襲われ、日の丸が奪われる事件も発生。外交筋によると、駐中国大使の警護を見直す契機になった。

 日本政府が尖閣諸島の国有化に踏み切った9月11日以降、中国では抗議デモが続き、初の週末となった15日には50都市以上に拡大。各地で集団は暴走し、山東省青島市ではパナソニックなど日系企業が、江蘇省蘇州市でも日本料理店などが襲われ、1972年の国交正常化以降、最大規模の反日デモとなった。

 

暴徒化した反日デモ隊に襲われた日系スーパー「平和堂」=2012年9月、中国湖南省長沙

長沙ではデモの事前情報があり、9月15日に平和堂は休業していた。長沙1号店「五一広場店」周辺には、数千人のデモ隊が集結した。「人の波が押し寄せて今、壊し始めました」「シャッターが破られ、みるみるうちになだれ込んできます。危険です」。寿谷さんの元には、店舗上階の本部から次々と報告が入った。侵入した人々はフロアの上へ上へと押し寄せる。社員らは追い詰められるようにして本部のオフィスエリアへ退避した。長沙の他の2店舗も襲撃された。

 ▽破壊にあぜん、泣いた中国人従業員も

 翌朝、落胆や怒りを抱えて被害を見て回った寿谷さんは「ここまでやるのかとあぜんとした」。化粧品や靴かばん売り場のサンプル商品が跡形もなくなり、陳列ケースの破片が飛び散り、ぐちゃぐちゃだった。スタッフの多くは中国人で、店内にやるせない表情で立ち尽くしていた。「彼らからすれば『同じ中国人になぜここまで壊されなあかんの』と、裏切られたような話です」

 長沙は日中戦争の激戦地だ。滋賀県彦根市が本社の平和堂は中国側に要請され、1998年に長沙で1号店を開業。立ち上げから関わった寿谷さんは地元政府から、日本人に身内を殺された住民が多いことなどの注意喚起を受けた。「日本鬼子(中国語で日本人の蔑称)は帰れ」。開業後は落書きや嫌がらせも。駐在が長く、以前も反日デモを経験した寿谷さんの目にも、2012年の襲撃は「異常な熱を持ち、人数も多く、公安(警察)も逃げ腰で手が付けられない」と映った。社会に不満を抱く人や面白半分の参加者らがいた。「尖閣だけじゃなく、いろいろなものが重なって大きなパワーになった」とみている。

 海外でのビジネスはどの国であれリスクはある。しかし、それを踏まえても、中国「群衆」の怖さを突きつけられた体験だった。襲撃事件で中国への見方は変わっただろうか。問うと、寿谷さんは言葉を選びながら語った。「ある日突然暴徒になり、かと思うと(騒ぎが)終わればまたお客さんとして来たりする。裏表がすぐ変わる。注意深く見ておかないと」

 3店舗のうち二つは約1カ月半後に再開にこぎ着けた。当日の記事によると、1号店には開店前から客が列を作った。当時感じた〝中国の両面〟を、寿谷さんはこう表現した。「人口が多くまだまだ貧しい中での、生きていくバイタリティーのような…。そこから出てくる反面の怖さを感じた。一方で悔し涙を流し、情熱を持ち仕事に取り組んだ中国人従業員もいた」

 ▽日本車を壊せ

ひっくり返された日本車の上で抗議する反日デモの参加者=2012年9月、中国陝西省西安

 今年8月、内陸部河南省南陽市の小さな村を訪れた。10年前に起きた「西安U字ロック殴打事件」で、傷害罪などで懲役10年の判決を受けて服役し、4月に出所した30代の村民、蔡洋氏を探すためだ。伝統的な農村の家屋が並び、放し飼いの犬がほえまくる。村民が道に椅子と机を出し、おしゃべりを楽しんでいた。

 2012年9月。暴走した反日のうねりは同胞へも向いた。15日、陝西省西安市で反日デモのさなか、トヨタ・カローラに乗っていた中国人男性が襲われ体に障害が残った「U字ロック」事件はその典型だ。判決文で概要を振り返ってみたい。

 2012年9月15日午後1時ごろ。西安でバスに乗っていた蔡氏と尋氏は反日デモに出くわし、降りて群衆に加わった。蔡氏はU字ロックを盗み、尋氏は道でれんがを拾い、日本車の破壊を開始。午後3時40分ごろ、両氏らは男性のカローラを取り囲み壊し始めた。男性はれんがを奪って反撃。れんがは蔡氏の頭に当たり、蔡氏はU字ロックで男性の頭を計4回猛烈に殴打し、カローラのトランクをたたき壊した。判決文の本人供述によると、蔡氏は男性を殴り倒した後も「デモ隊と進み、別の車を壊し続けた」。

日本車をひっくり返す、暴徒化した反日デモの参加者=2012年9月、中国江蘇省蘇州

 ▽「愛国」だったのか

 村で60代の蔡氏の叔父、蔡作双さんを探し当てた。蔡氏の行為を今はどう思っているのか聞くと、こんな答えが返った。「日本車を壊しただけならなんてことなかったんだ。損害は国が賠償するんだし。人にけがを負わせさえしなければ…」反日の破壊行為自体は肯定する考えにも聞こえた。

蔡洋氏の実家。蔡作双さんがここで取材に応じてくれた=2022年8月27日、中国河南省南陽(撮影・武隈周防)

 中国のネット上を探すと、蔡氏の動機が「愛国」だったと証明するため作双さんが尽力した―と紹介する数年前の動画が残っている。おいへの判決や、「愛国」をどう考えているのか。真正面からの答えは得られず、作双さんは「強者に弱い者はかなわない」と漏らした。強者とは公権力を指すのだろう。

 蔡氏は「出所後も前と同じ内装工の仕事をこつこつやっている。居場所は分からないし、連絡も取れない」のだという。蔡氏が事件当時西安にいたのも、内装工の出稼ぎだ。蔡氏の実家でもある家は節約のためか、薄暗い。床はむき出しのコンクリートに見える。「家はぼろぼろで、テレビすらない」と作双さん。一家は貧しく、判決が命じた被害男性への賠償も払えていない。

 作双さんによると蔡氏は小学5年ごろまでしか学校に通わなかった。当時事件を取材した中国メディアの元記者は「都市は理性的に物事を考えられる人が多いが、教育レベルもあり、地方の方がデモは過激化した」と指摘する。この記者は、国益を守るために国家は民族主義の高揚を利用すると述べ、「蔡氏もある意味で被害者」だと感じたと打ち明けた。異なる見方もある。「反日の英雄」とみる声に押されて一時蔡氏を支援した汪定亮弁護士は、「一時の衝動で騒ぎに便乗しただけで、愛国とは無関係の行為だ。高い政治意識にも基づいていない」と分析。「反省もない」と、やや突き放したように語った。

自宅前で取材に応じる蔡作双さん=8月、中国河南省南陽

 ▽ホンモノの日本人、求められたサイン

日中国交正常化50周年の記念イベントに登場したピカチュウ(右)にカメラを向ける人たち=2022年9月24日、北京(撮影・武隈周防)

 2022年の北京。街には「渋谷横丁」など日本食街が複数ある。9月24~25日、国交50年記念のイベントは大盛況だった。大人も子どももピカチュウやウルトラマンに歓声を上げ、日本観光の情報を収集し、越境EC(電子商取引)のブースもにぎわった。中国の厳しい新型コロナウイルス対策のため、訪日旅行は依然として困難だ。日本ファンはこうした機会を待望していたと外交筋は分析する。

日本風の居酒屋などが軒を連ねる「渋谷横丁」の入り口=2022年9月24日、北京(撮影・武隈周防)

 日本語教育も盛んだ。超競争社会の中国で「人生が決まる」とされる「高考」(全国一斉大学入試)に向け、他言語より試験の難易度が低く、漫画やアニメで親しみもある日本語を選ぶ高校生は少なくない。先日、高考日本語コースの授業を教師の友人に誘われて見学した。「ホンモノの日本人!?」と感激した無邪気な生徒にサインを迫られ、こちらも感動した。だが「今は反日の雰囲気が強い。コースを開設したものの宣伝できない」とぼやく友人の言葉に複雑な気分になった。

日本語を学ぶ中国人高校生のノート=2022年7月4日、北京(撮影・武隈周防)

▽「敵を作るのが共産党のやり方だ」

 日本への人気も、いったん「愛国」が絡むと激しい反日世論が政治経済を含む現実社会に影響するのも、両面が中国の現実だ。感染対策や不景気への不満がくすぶる中、当局は反日を「ガス抜き」的に使っているとの見方もある。昨年、遼寧省大連市で日本風商店街がネット上で袋だたきに遭い休業した。今夏は夏祭りがテーマのアニメ行事が「日本による文化侵略」と敵視され、各地で中止に。江蘇省南京市の寺に旧日本軍A級戦犯らの位牌が祭られていたと判明し、批判が殺到した。蘇州市の街中では浴衣着用を理由に警察が中国人女性を拘束した―。

日中国交正常化50周年の記念イベントで行われたウルトラマンクイズ=2022年9月24日、北京(撮影・武隈周防)

 2012年のような集団の暴走は、いつか再び起きるだろうか。西安の事件を取材した元記者は「中国社会は進歩した。今は理性的な声が大勢だ」と否定的。中国人の日本専門家は「社会の監視が強まったので10年前のようなことは絶対に起きない」と断言する。だが反日の加速を「10年前に雰囲気が似てきた」と危惧する中国人記者もいる。尖閣、台湾、歴史認識、安全保障、経済安保、米中対立、人権問題。「火種」(中国人学者)は多い。

 ある改革派知識人は「日本や米国、国外に敵を作るのが共産党のやり方だ」とみている。外交筋は「反日をあおり立てるのも抑え込むのも結局、政府だ」と強調。別の外交筋はこう分析した。「『中国当局が特に起こすのを必要としない限り』、現体制下で激しい反日抗議は起きないだろう」

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