今週末に行われるリヴァプール対マンチェスター・シティの試合。この数年プレミアリーグの優勝を争った両雄が直接対決する。
今回は、マンチェスター・シティの歴代選手の中から「リヴァプール戦でゴールをもっとも多く決めた5選手」を特集する。
5位:ホレース・バーンズ
マンチェスター・シティ所属:1914~1924
成績:218試合120ゴール
リヴァプール戦でのゴール数:12試合6ゴール
マンチェスター・シティの歴史上でも最高の選手の一人とされているホレース・バーンズ。『The Essential History of Manchester City』では13番目のレジェンドとして扱われている。
ダービー・カウンティから2500ポンドでシティに加入し、1914-15シーズンから12ゴールを奪取。その後第1次世界大戦での軍需工場での勤務を経てサッカーに復帰し、それからクラブの象徴的なストライカーになった。
1924年にプレストン・ノースエンドに移籍し、その後オールダム・アスレティックで現役を引退。アマチュアでプレーしたあとにスパイクを脱いだ。その後は荷造り業者で働き、1961年に亡くなっている。
4位:セルヒオ・アグエロ
マンチェスター・シティ所属:2011~2021年
成績:275試合184ゴール
リヴァプール戦でのゴール数:19試合7ゴール
近年で最も優れたマンチェスター・シティのストライカーといえば、もちろんセルヒオ・アグエロである。アトレティコ・マドリーから加入し、10シーズンにわたってエースとして君臨していた。
昨年夏にバルセロナへと移籍したあとに不整脈が再発してしまい、その診断の結果現役を引退することを決断した。選手時代から行っていたゲーム配信などで活躍しており、先日からは『Sandbox』と組んでメタバースのサービスやNFTコレクションを立ち上げている。
3位:アレックス・ハード
マンチェスター・シティ所属:1933~1948年
成績:257試合107ゴール
リヴァプール戦でのゴール数:11試合7ゴール
1911年にスコットランドで生まれたアレックス・ハード。ハミルトン・アカデミカルでプレーしたあと、マンチェスター・シティと契約してイングランドへ渡ってきた。
インサイドフォワードとして傑出した能力を示し、最初のシーズンから7ゴールを奪取。さらに次年度には14ゴールを叩き込み、中心選手となった。それから1948年まで長くチームにとどまり、その後下部リーグのストックポート・カウンティへと移籍した。
1950-51シーズンには息子のデイヴィッド・ハード(奇しくも後にマンチェスター・ユナイテッドの名FWになる)とチームメイトになり、同じ試合でプレーした。1982年に70歳で死去している。
2位:フレッド・ハワード
マンチェスター・シティ所属:1912~1920年
成績:70試合49ゴール
リヴァプール戦でのゴール数:5試合9ゴール
まさに「リヴァプールキラー」であったフレッド・ハワード。マンチェスター・シティでプロ選手としてのキャリアをスタートし、若くしてストライカーとして定着した。
しかし1915年に行われたマンチェスター・ユナイテッド対リヴァプールの試合に関係した八百長(The Good Friday Scandal)にかかわったとして処分を受ける。そして第1次世界大戦のためにキャリアを中断せざるを得なくなり、その後は選手としてフェードアウト。引退後はいつどこで生活していたかもよくわからないという。
リヴァプール戦では無類の強さを見せ、1913年1月のホームゲームでは4ゴール、12月のアウェイゲームで2ゴールを奪取。実質わずか3年だけでリヴァプール相手に9ゴールを叩き込んだ。
1位:エリック・ブルック
マンチェスター・シティ所属:1928~1939年
成績:450試合158ゴール
リヴァプール戦でのゴール数:29試合9ゴール
イングランド全体でも屈指のレジェンドと評価されている伝説的なストライカー。バーンズリーでプレーした後、1928年にマンチェスター・シティへと移籍した。
基本的には左のウイングだったが、ピッチ上の何処にでも顔を出すオールラウンド・プレーヤーだったとのことで、サッカーのすべてをうまくこなしたという。代役ゴールキーパーも3度任されたという天才選手であったそう。
【写真】次はハーランド?マンチェスター・シティ「歴史上最高のストライカーTOP10」
第二次世界大戦中にイングランド代表での移動で交通事故にあい、頭蓋骨を骨折したことから31歳で引退。その後はバーテンダーやクレーンのオペレーター、バスの運転手などに従事し、19965年に死去している。