“B29、触ってみたい” 住田ハツ子さん(98)=長崎市= 真っ白な機体 きれいだった

20歳前後の住田さん(遺族提供)

 「終戦になって、20日ぐらいたっとったかな。朝のこと。その日は雨でもない、霧がかかっとるねえと話している時に『ズシィーーーーン』と音がして、家が揺れた。何で今ごろ、戦争には負けたのに、どこに爆弾が落ちたんだろうと。大騒動になり警察が来て、藤田尾にB29が落ちたらしいことが分かった」
 77年前の出来事を、長崎市かき道3丁目の住田ハツ子さん(98)=2022年8月31日死去=は、はっきりと覚えていた。
 終戦後の1945年9月4日、米軍機B29が同市香焼町の福岡俘虜(ふりょ)収容所第2分所に食糧などを運ぶ途中、佐敷岳(同市藤田尾町)頂上近くの牧草地に墜落した事故があった。乗員14人のうち、助かったのは1人。2015年、米国の事故報告書を基に墜落現場を調査した市民グループ「POW研究会」会員の平野伸人さん(75)は「証言にある時期や具体的な現地の様子など合致する点が多い。この事故のことを言っているのは間違いないだろう」と話す。
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 ハツ子さんは当時21歳。現在の同市平山町に住んでいた。戦争に負け地域はシーンと静まり返り、皆、日本はどうなるんだろうかという気持ちでいた。藤田尾にB29が墜落したと知り、ハツ子さんは「B29をこの目で見てみたい」と思った。でもみんなから止められた。「もしアメリカ兵が生きとったら大ごとになるけん、女は駄目」。長老たち男性4~5人は、米兵に立ち向かうためクワやナタを腰に巻いて現地に向かった。

最初で最後となった取材の日。身ぶり手ぶりを交えて話して聞かせる住田さん=長崎市の自宅

 ハツ子さんは「とにかく触ってみたい」と思って20代の女性と一緒に、平山の山を越え、道なき道を行った。茂木にこんなきれいな草原があったんだと驚いた。芝生の中にB29が落ちていた。はるか向こうは茂木の海。「なんか映画を見てるみたいで、私だけぼーっとしてしまって」
 最初で最後の機会かもしれない。B29を触ってみよう。機体は真っ白でぴかぴかのジュラルミン製、とてもきれいだったという。
 木には米兵が2人か3人、機体から放り出されてぶら下がっていた。怖くて直視できなかった。助かった1人は茂木の青年団が連れて行ったと聞いた。
 山の谷にはB29から落ちた品物が散乱していた。「SUGAR」って書いてある缶もあった。長老が「ハツ子さん、駄目駄目。それは毒とか爆弾が入っとるかも分からん」と言った。ハツ子さんは女学校でローマ字を習っていたから、「これは砂糖です」と知らせたけれど。キャラメルやタバコなどがいっぱいあったが、駄目って言われて持ち帰らなかった。
 ハツ子さんは戦時中、編隊を組んで大きな音もたてず飛ぶB29がきれいと空を見ていたら、町内会長から「家に入って」と怒られ、親からもまた怒られたという。「こんなこと言ったら当時なら非国民て言われるけど、あんなきれいなB29と比べたら、真っ黒けの飛行機でブルンブルンて飛ぶ日本の兵隊は負けるって思いましたよ」


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