「あなたは一人じゃない」がんになった親友を励ますため毎日走り続けて10年 仲間が増えて150人が一斉にゴールする全く新しいイベントが実現した

イベント終了後に記念撮影する参加者=9月11日、東京都江東区

 2022年9月11日午前10時半。青空の下、東京都江東区に設置されたゴールに、オレンジ色のTシャツを着たランナーが、四方八方から続々と走って来た。がん経験者やその家族を支援するチャリティーのランニングイベント「OUTRUN CANCER with FREE10」の参加者たちだ。
 笑顔でランナーのフィニッシュを迎え入れたのは、主催者の大嶋バニッサさん(52)。ニュージーランド出身で、自身も2017年に乳がんと診断され、摘出手術を受けた経験を持つ。2012年から一日も欠かさず走り続け、この日がちょうど10年の節目だ。ランナーたちのスタート地点や走るコースは自由。でも「ゴールはみんな一緒」というコンセプトを掲げた新しいスタイルのイベントを通し「あなたは一人じゃない」と訴えた。(共同通信=益吉数正)

大嶋バニッサさん(右)と高校時代の親友のキャサリンさん(大嶋さん提供)

 ▽がんの親友を励ますために「毎日走るよ」
 きっかけは、2012年に母国の高校時代の親友ががんを患ったことだった。「今日は元気がなかったけど、あなたがジョギングする姿を見て少しやる気が出てきた」。交流サイト(SNS)で、親友からそんなメッセージをもらった大嶋さんが「どうしたの」と尋ねると、乳がんと診断されたことを明かされたという。
 千葉・成田高と京都大に留学経験を持つ大嶋さんは、母国の大学で教壇に立つなどした後、2002年に日本へ戻り、外資系企業に勤務していた。遠く離れた日本で、できることは限られていた。だから「ジョギングの写真を見て元気が出たなら、私、毎日走るよ」と連日5キロ走ることを約束した。
 当初は抗がん剤の治療が終わるまで、のつもりだった。ただ、その後も放射線治療やホルモン剤の服用など、がんとの闘いは長い。完全に治るまで走り続けると決め、いつの間にかその期間は1000日を超えていた。

東京都江東区に設置されたゴールにやって来た「OUTRUN CANCER with FREE10」の参加者=9月11日

 ▽手術当日もランニング
 病状が回復した親友と日本で再会を果たした後も、ランニングを継続していた大嶋さん。2017年2月、自身も乳がんに罹患したことが判明した。「真っ青になった。自分の話じゃないと思った」。気持ちの整理がつかないまま、3月末に手術を受けることが決まった。
 それでも「がんと闘うためにランニングを始めたのだから、がんで終わるのは納得いかなかった」と諦めなかった。手術当日も開始は夕方だからと、午前4時半に起きて走った。翌日も迷惑をかけないように病院内で人がいない時間と場所を見計らい、歩くようなペースで続けた。ただ、距離は2キロが限界。鏡には別人のような体が映り、涙が止まらなかった。すると、そんな姿を見ていた担当看護師の梶田聖子さんから「残りの3キロを私が代わりに走ってあげる」との申し出を受けた。「前向きになれるように」と自分の代わりに残りの距離を走ってくれた。
 手術後は体調を考慮し、最低限走る距離を5キロから1マイル(約1・6キロ)に縮めた。ただ、走ることを欠かしたことは一度もない。海外出張の際には乗り継ぎの合間にドイツの空港内を2キロ走ったこともあった。走り続けた10年は、がんと向き合ってきた期間でもある。

イベントを企画した大嶋バニッサさん(左)と夫の康弘さん=9月11日、東京都江東区

 ▽スタートもペースもルートもそれぞれ
 10年の節目に企画したイベントは、スタートの時間や場所、コースは自由という斬新な形式で行われた。ゴールの時間と場所だけが決められ、約150人の参加者は思い思いのペースで10キロをランニングした。がん患者らが悩みを相談し、交流できる施設「マギーズ東京」の隣にゴールを設置。Tシャツを作成し、3千円で販売した。参加者らに購入、着用してもらうなどし、集まった寄付金の全額(約100万円)をマギーズ東京に寄付した。
 「FREE10(フリーテン)」と名付けられたこのスタイルは、プロランニングコーチの金哲彦さんら3人のアイデアで誕生したものだ。米公民権運動の黒人指導者マーチン・ルーサー・キング牧師らの呼びかけに、全米からワシントンに人々が集まった史実に着想を得たという。今回のイベントのアンバサダーを務めた金さんは「(通常は)スタートからゴールまで競うのが当たり前だけど、何かに向かって集まるっていうのはありだなと思った」と振り返る。
 参加者が自由にプランを立て、自分のペースで目標を目指す。大嶋さんは「がん(治療)もさまざまなペースやルートがある。でも(克服するという)ゴールは同じ」とこの形式を採用した理由を説明。大腸がんを克服した経験を持つ金さんも提案を受け「すごくいいと思った。走れない人は歩いてもいい。どんなレベルの人でも参加できる」と熱弁する。

トークショーを行う柏原竜二さん(左)と大嶋バニッサさん=9月11日、東京都江東区

 ▽ゴールには仲間が待っている
 イベントには東洋大時代に箱根駅伝の山上りの5区で活躍し「山の神」と称された柏原竜二さんも参加し、大嶋さんとトークショーも行った。柏原さんは祖母をがんで亡くした経験を明かし「がんのことを聞く機会は実はあるようでない。もっと知るきっかけがほしいと思った」と参加した理由を語る。
 現役時代は1番でゴールすることを目指していた柏原さん。全員が一緒にゴールするという形式は新しい体験だった。「同じTシャツを着た人が四方八方からゴールに向かってきて面白い。最初はすごく心細いけど、ゴールにはきっと仲間がいるはずと思って、みんな走ってきている。そこに希望がある」と言葉に力を込める。大嶋さんも「隣に誰かがいると少し安心するのは、がんも同じ。自分もあなたも一人じゃない」とほほ笑む。

ゴール後に花束を贈り合った大嶋バニッサさん(左)と担当看護師だった梶田聖子さん=9月11日、東京都江東区

 ▽「体だけではなく心の闘い」
 今回、参加者の約3分の1はがん経験者だったという。他にも大嶋さんのかつての同僚や、担当看護師だった梶田さんも駆けつけた。この日に向け、梶田さんも1年間毎日走ってきたそうで、ゴール後はお互いに花束を贈り合い、最後は夫の康弘さんも含め、全員で記念写真に納まった。
 「コミュニティーをつくりたかった。がんは体だけではなく心の闘いでもある。がんのことをもう少し言えるようになると、自分も楽になるし、周りの人も話ができる」と話す大嶋さん。10月は乳がんの早期発見や治療の大切さを呼びかける「ピンクリボン月間」でもある。今後はNPO法人をつくり、今回と同様のイベントを年に4回程度開催したい考えだ。

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