中村俊輔、そのキャリアで「最もかっこいいユニフォーム姿」9選

横浜FCに所属する元日本代表MF中村俊輔が18日、今季限りでの現役引退を表明した。

ここでは中村のキャリアを振り返り、思い出深くもあり「カッコよかったユニフォーム姿」を選んだのでご紹介したい。

横浜F・マリノス

横浜F・マリノス 1999-2000 adidas ホーム

写真:2000年11月11日 ジェフユナイテッド千葉戦(J1リーグ)

1999、2000の2シーズンで使用したホームキットはイエローのパイピングが特徴あるデザイン。胸の「NISSAN」ロゴをイエローで彩った最後のユニフォームでもある。

レッジーナ

レッジーナ 2002-03 Asics ホーム

写真:2003年2月16日 カルチョ・コモ戦(セリエA)

中村は2002年夏にイタリアのプロヴィンチャ、レッジーナへ移籍。このシーズンはセリエA32試合に出場し7得点を記録した。シャドーストライプが格好よいユニフォームは日本のAsics製。2003年夏に日本で古巣の横浜F・マリノスと対戦した際は、胸にコンビニ「Family Mart」のロゴを付けている。

セルティック

セルティック 2005-07 Nike ホーム

写真:2006年2月20日 ミラン戦(チャンピオンズリーグ)

2005年夏にレッジーナからセルティックへ移籍。“伝説の始まり”ともいえる最初のユニフォームは2005-07の2シーズンで使用。ドラマティックなFKを決めた06-07シーズンのCLマンチェスター・ユナイテッド戦でも身にまとっていた一着である。

セルティック

セルティック 2006-07 Nike アウェイ

写真:2006年9月13日 マンチェスター・ユナイテッド戦(チャンピオンズリーグ)

シンプルなストライプと襟付きデザインがクラシックなアウェイユニフォーム。このキットを着たCLグループステージのマンチェスター・ユナイテッド戦で、中村は敵地オールド・トラッフォードで芸術的なFKをねじ込んだ。

エスパニョール

エスパニョール 2009-10 Uhlsport ホーム

写真:2009年11月11日 ヘタフェ戦(ラ・リーガ)

2009年夏にエスパニョールと契約しスペインへ上陸。しかし適応に苦しみ、スペイン挑戦はほろ苦い結果に終わった。ユニフォームは前面に、当時開場したばかりのホームスタジアム「エスタディ・コルネリャ=エル・プラット(RCDEスタジアム)」を描く。

横浜F・マリノス

横浜F・マリノス 2013 adidas ホーム

写真:2013年3月2日 湘南ベルマーレ戦(J1リーグ)

2010年に横浜FMへ復帰した中村は2016年までプレー。ピンストライプのユニフォームを着た2013シーズンはリーグ戦33試合10得点を記録し、初のリーグ年間2桁得点を達成している。背番号25はこのシーズンが最後となり、2014年からは10番を背負った。

ジュビロ磐田

ジュビロ磐田 2017 adidas ホーム

写真:2017年10月14日 清水エスパルス戦(J1リーグ)

2017年にジュビロ磐田へ電撃移籍。その最初のシーズンは背番号10を背負った淡いサックスブルーのユニフォームでチームの中心として活躍した。パンツはホワイト、ソックスはサックスブルーで、全体的に淡い色使いが印象的。

横浜FC

横浜FC 2019 Soccer Junky 戸塚区制80周年記念モデル

写真:2019年9月15日 大宮アルディージャ戦(J2リーグ)

2019年7月に中村は当時J2の横浜FCへ移籍。背番号46という見慣れない大きな番号を付けて自身初のJ2を戦い、チームのJ1昇格に貢献した。このユニフォームはホームタウン活動重点エリアである戸塚区の区制80周年を記念し、公式戦3試合で着用したもの。前面、背面合わせて8本のストライプで80周年を祝うデザインである。

日本代表

日本代表 2004 adidas ホーム

写真:2005年6月22日 ブラジル代表戦(コンフェデレーションズカップ2005)

A代表では通算98試合24得点を記録。最も印象的なゴールの一つは2005年のコンフェデレーションズカップだろう。ブラジル相手に魔法の左足が炸裂。記憶に残るファンタスティックなミドルシュートを叩き込んでいる。その試合で着たユニフォームは、「経験と象徴」をコンセプトとした通称“グラデーションモデル”だった。

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