日本代表、W杯メンバーながら本大会でプレーしなかった選手たち

7大会でワールドカップ本大会に進出した日本代表。

W杯メンバーに選ばれたながらも、そのピッチに立てなかった選手たちもいる。

ここでは、W杯本大会でプレーしなかったフィールドプレイヤーたちをまとめてみた。なお、内田篤人や酒井高徳のように複数大会に出場し、いずれかの大会でプレーした選手は除外する。

斉藤俊秀(1998)

清水エスパルスで長らく活躍した実力派ディフェンダー。

鋭い読みと安定感のある守備でチームの貢献した職人肌の選手だった。

引退後、2012年にS級コーチライセンスを取得。アンダー代表を経て、2018年から日本代表のコーチを務めている。

伊東輝悦(1998)

斉藤同様に清水エスパルスで活躍した名MF。

1996年のアトランタ五輪でブラジル代表を撃破する「マイアミの奇跡」で決勝ゴールを決めた選手として広く知られる。

いぶし銀的な職人的MFとして長く活躍し、かつてはJ1史上最多出場記録を持っていた(通算517試合出場は現在歴代8位)。48歳になった現在もアスルクラロ沼津に所属している。

岩政大樹(2010)

日本人離れしたパワーとインテリジェンスが融合した守備技術で鹿島アントラーズの守備を支えると日本代表まで上り詰めた長身ストッパー。

2010年大会でメンバー入りしたものの、プレー機会はなかった。

東京学芸大学時代に教員免許を取っていることから「知性派」としても知られる。引退後は上武大学サッカー部で監督を務めると、2022年8月には鹿島の監督に就任した。

森本貴幸(2010)

まだ中学生だった15歳で東京ヴェルディにデビューした元怪童ストライカー。

Jで史上最年少記録をいくつも樹立すると、若くしてセリエAに参戦し、イタリアの地でも愛された。

21歳で代表デビューし、2010年W杯のメンバー入りを果たすも、出場機会はなし。34歳になった現在は台湾でプレーしている。

伊野波雅彦(2014)

日本人離れした身体能力とクレバーな守備センスを兼ね備える実力者として活躍したDF。

様々なポジションをソツなくこなせるユーティリティ性でも重宝された。

当時所属していたジュビロ磐田はJ2だったため、2部からW杯に出場することでも話題に。ただ、本大会では出場機会なし。

37歳になった現在も南葛SCでプレーしている。

齋藤学(2014)

“和製メッシ”とも呼ばれた小柄なドリブラー、卓越した技術と敏捷性を兼ね備えたその打開力は間違いなくJリーグ屈指を誇った。

ロンドン五輪でジョーカー役を務めると、フル代表デビューを果たし、2014年W杯メンバー入り。ただ、出場機会はなかった。

32歳になった現在は韓国の水原三星ブルーウィングスでプレーしている(背番号は5)。

植田直通(2018)

中学時代にはテコンドーの日本チャンピオンに輝いたことでも知られるDF。

強さ・高さ・速さを兼ね備えるなど逸材として若くから期待されてきた。

鹿島アントラーズで主軸に成長すると、海外リーグに羽ばたいたが、そのポテンシャルからするともっと活躍してもおかしくないはず…。

2018年大会は出番なしに終わったが、今大会でもメンバー入りできるだろうか。

大島僚太(2018)

川崎フロンターレの10番を背負うJ屈指のMF。

囲まれた局面でも打開できるドリブル力、視野の広さとセンスが感じられるパスワーク、ゴール前に侵入する力、守備への貢献度など中盤の選手に必要な全ての能力を併せ持つ。

その才能は誰もが認めているが、不運な怪我によってキャリアを阻まれてきた。

2018年大会では活躍を期待されていたが、怪我もあり、出場機会なしに終わっている。

遠藤航(2018)

いまや日本の中盤に欠かせない存在となったボランチ。

ブンデスリーガの舞台でも発揮されている対人戦の強さは、常に同年代の日本人のなかでトップクラスを誇ってきた。

若い頃はDFラインでもプレーしており、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督のもとで代表デビューを果たした際は右サイドバックとして起用されている。

DF登録だった2018年大会は失意の出場機会なしに終わるも、その後はMFとして地位を確立。

シュトゥットガルトでは外国人ながらキャプテンを任されており、代表での会見でもその言語化能力の高さが窺い知れる。今大会では間違いなく主軸としてプレーするはずだ。

【関連】日本代表、W杯に出場した「10人しかいない左利き選手」

なお、GKでは小島伸幸(1998)、曽ヶ端準(2002)、土肥洋一(2006)、西川周作(2014)、権田修一(2014)、東口順昭(2018)、中村航輔(2018)がW杯メンバーながら出場経験がない。

© 株式会社ファッションニュース通信社