ロナウドも仲間入り…「試合出場を拒否した」スーパースターたち

先日、クリスティアーノ・ロナウドがトッテナムとの試合で途中出場を拒否したというニュースが大きな話題になった。

今回は『Planet Football』から「プレーすることを拒否したスター選手たち」をご紹介する。

リヤド・マフレズ

現在マンチェスター・シティで活躍しているマフレズ。彼はレスター・シティで大活躍してブレイクしたが、その後のステップアップになかなか進めなかった選手だ。

2018年1月にマンチェスター・シティへの移籍が実現しなかったため、不満を爆発させた彼はストライキを敢行。トレーニングを無断で欠席して大きな問題に。

カルロス・テベス

テベスに公平であるために言えば、問題が起こった当時マンチェスター・シティのロベルト・マンチーニ監督は「アルゼンチンに戻って頭を冷やせ」と言ったという。

バイエルン戦で出場を拒否したテベスは謹慎処分を受け、アルゼンチンに帰国。問題はその処分が解除された後もなかなか戻ってこなかったことだ。とはいえ、しばらくしてプレミアに戻るとリーグ優勝に貢献するゴールを決めている。

ディミトリ・パイェット

EURO2016ではフランス代表の中心選手として多くのチャンスを作り出し、大会でも最高の一人であったディミトリ・パイェット。プレミアリーグのウェストハムでも活躍していたが、2017年1月にマルセイユへと戻るためにストライキを敢行した。

当時は家族の問題があるとかいろいろと書かれたが、マルセイユへと復帰することに成功したあとにパイェット自身が語ったところによれば「ビリッチ監督の守備的なサッカーに飽きていた。毎試合走り回ることに何の楽しみもなかった」という理由だったそうだ。

ラヒーム・スターリング

リヴァプールで育ったスターリングは、マンチェスター・シティからのオファーを受けたとき、移籍を熱望した。ただ、リヴァプールの側はそれを拒否し、新しい契約にサインするよう迫ったという。

それに反発したスターリングはプレシーズンのツアーに帯同することを拒否。そして代理人のエイディ・ウォードの奔走の末、最終的にマンチェスター・シティへの移籍を成功させている。

ポール・スコールズ

あのポール・スコールズも若い頃に出場を拒否したことがある。フアン・セバスティアン・ベロンがマンチェスター・ユナイテッドにやってきたころ、彼はリヴァプール戦でベンチに落とされた。

その後行われたアーセナルとのリーグカップにおいて、スコールズは不満を持っていた二人の選手とともに出場を拒否。多額の罰金を科されることになった。

ジエゴ・コスタ

チェルシーでの1年目には圧倒的なゴールハンターっぷりで存在感を示したジエゴ・コスタ。しかしながら、アントニオ・コンテ監督との確執が後に表面化してしまった。

監督から「君は私のプロジェクトに含まれていない」とメッセージを受け取ったジエゴ・コスタは、契約が残っているにもかかわらずブラジルからイングランドへと戻らず。にもかかわらずチェルシーは移籍金を求めていたため、なかなか状況が解決しなかった。

ディミータル・ベルバトフ

ブルガリアのアーティストであるベルバトフがストライキをしたのは2008年。トッテナムからマンチェスター・ユナイテッドに移籍しようとしていたときだ。

当時のユナイテッドを率いていたファーガソン監督がベルバトフに言及した後、トッテナムのダニエル・レヴィ会長が激怒。売却を強行に認めない意思を示したが、ベルバトフはそれに抗議しチェルシーとのロンドンダービーでプレーすることを拒否した。

ジョージ・ベスト

英国サッカーの偉大なるレジェンド、ジョージ・ベストもストライキを経験している選手の一人だ。

1974年1月にマンチェスター・ユナイテッドはQPRに敗れ、クラブの衰退に不満を持っていたベストはその後練習参加を拒否。その後11月までプレーすることはなく、そのまま南アフリカのクラブへ移籍していった。

ウィリアム・ギャラス

2006年。チェルシーでユーティリティDFとして活躍していたギャラスは、自分のプレーを考えれば十分な給与をもらっていないと訴えた。そして退団を要求したが、クラブ側はそれを拒否した。

ストライキしたギャラスは「プレーしろと言うなら、ピッチでわざとオウンゴールをしてやる」とまで宣言し、強硬にアーセナルへの移籍を実現させた。ただ彼を売却したかわりにチェルシーはアシュリー・コールを手に入れているので、大きな恩恵をもたらしたとも言える。

マルコス・ロホ

マンチェスター・ユナイテッドへの移籍話が進んでいたとき、マルコス・ロホはスポルティング・リスボンでのトレーニングを拒否し、退団を強硬に求めた。

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しかしその時ファン・セバスティアン・ベロンから電話がかかってきて「頑固になるんじゃない。ユナイテッドがお前を本当に欲しいなら、すぐに諦めることはないだろう」と諭されたという。最終的にはその通りユナイテッドへの移籍が決まったが、果たして正解だったのかはわからない。

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