32年ぶり「阿蘭陀万歳」披露 長崎の花柳流「銀扇会」

「阿蘭陀万歳」を披露する万歳役の太寿久さん(右)と才蔵役の太寿仁さん=長崎市築町、メルカつきまちホール

 長崎市などに教室を構える花柳流日本舞踊の銀扇会(花柳昌太女(しょうため)会主)が22日、市内で発表会を開き、32年ぶりに「阿蘭陀(おらんだ)万歳」を披露した。同会師範で昌太女会主の長女、花柳太寿仁(たずひと)さん(44)と次女、太寿久(たすく)さん(42)が初挑戦ながら完成度の高い踊りで観客を楽しませた。
 「阿蘭陀万歳」は長崎くんちの演(だ)し物として知られるが、もともとは花柳流が創作した前衛的な舞踊で初演は1933(昭和8)年。東京での花柳舞踊研究会だった。「日本に漂流したオランダ人が“万歳”を覚えて正月の祝儀に回っているうち故国をしのんで悲しむ」という筋立て。コミカルな振り付けなどで注目を集めた。
 翌年の長崎国際産業観光博覧会(同市)では、花柳流幹部から指導を受けた長崎検番の芸妓(げいこ)が披露。以降、イベントなどで引っ張りだことなり、アレンジを加えながら長崎くんちの名物となっていった。
 銀扇会は長崎くんちとは関わりがなく、90年に長崎旅博覧会で披露した後は、上演していなかった。新型コロナ禍、昌太女さんが文化芸能の大切さを改めて見つめる中で、花柳流の家元に伝わる「阿蘭陀万歳」に着目。きっと多くの人に喜んでもらえると娘たちに持ちかけた。
 2人は約5カ月間の稽古を重ね、伝統的な「阿蘭陀万歳」の振り付けを習得。本番では、シルクハットのような帽子を被った万歳役の太寿久さんと、太鼓を携えた才蔵役の太寿仁さんが手先、足先まで神経の行き届いたこん身の踊りを見せた。
 太寿久さんは「姉妹なので舞台では安心感があった」、太寿仁さんは「外国人の役は初めて。愛きょうの表現も難しかったが楽しく踊ることができた」と振り返った。

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