頑張れ!SL王国・大井川鉄道

 【汐留鉄道倶楽部】1872年10月14日(明治5年9月12日)、新橋―横浜間に鉄道が開通してから150年。開通当初の姿を描いた錦絵は、小さな蒸気機関車(SL)が小さな客車を引いて築堤の上を懸命に走る様子を今に伝えてくれる。 

 50年前、鉄道100年のニュースは、小学生だった私もなんとなく覚えている。山陽新幹線はまだ岡山までだった。その少し前、1968年の時刻表(復刻版)を見ると、今は廃止された路線も多いし、列車のバリエーションも豊富だ。高度経済成長期、鉄道の需要はとても高かった。明治初年にちんまりと始まった日本の鉄道が、よくここまで発展したと多くの人が感慨を持ったことだろう。 

転車台に載るC12形164号機。いつもなら見学の子どもたちも多いのだが…=新金谷、2022年10月撮影

 さて150年の鉄道史の中で、多くの旅客や大量の貨物を運ぶ鉄道の動力源も大きく変わった。SLに代表される石炭から、ディーゼルカーや電車を動かす石油や電気に取って代わり、50年前の鉄道100年の時点でも、既にSLはほとんど現役を退いていた。当時、もう間もなく消えゆくと誰もが思ったSLが、21世紀の今も全国各地で働いているなんて想像できただろうか。 

 SLを保存、活用してきた先駆者が、静岡県の大井川鉄道だ。JR東海道線の金谷から千頭(せんず)までの大井川本線(39.5キロ)と、千頭から井川までの井川線(25.5キロ)から成り、その名の通り大井川沿いに北上する鉄道。1976年にSLの復活運転をスタート、2014年には人気キャラクター、きかんしゃトーマス号を運行し、国内ばかりか海外からも観光客を集めている。産業遺産、観光資源としてSLに着目した先見の明があったというべきだろう。 

 さる9月、大井川鉄道が大々的な計画を発表した。兵庫県内の公園で保存展示されていたC56形135号機を入手した同社が、創立100周年企画としてクラウドファンディングで1億円を集め、実際に走れるように修復するというのだ。 

近鉄の特急電車だった16000系(左)や客車も所在なげだった=新金谷、2022年10月撮影

 10年ぐらいたって壊れた家電製品が「部品がありません」と修理を断られることがあるけれど、SLはもちろん新造されていないから、足りない部品は自分たちで作らなければならない。映像で見た実際の車両は長年風雨にさらされて痛々しく、完全修復というのはかなりの難題だと思わせる。 

 しかし思いも寄らない試練がすぐにやって来た。記者発表のわずか3日後、台風15号が静岡県を襲い、線路への土砂の大量流入や道床の流失で全線がストップしてしまった。代行バスを運行するとともに、約2週間後、井川線の一部が復旧。しかしSLの走る大井川本線は、金谷から家山までの17キロ余りについては12月の復旧を目指しているものの、家山以北は「関係機関と緊密な協議を重ねながら計画を策定」するといい、全線復旧にはかなりの時間がかかることが予想される。 

 クラウドファンディングのコメント欄は「頑張って」「応援しています」という言葉が続く。SL復活の前に大きな課題がのしかかってしまったが、日本の鉄道文化を守るためにも、なんとかこの困難を乗り越えてほしい。 

 ☆共同通信・八代 到 大井川鉄道の復旧状況やクラウドファンディングの詳細は同社HPで 

© 一般社団法人共同通信社