世代を超えて、誰もが楽しめるエイジレスな朗読表現者を目指して──新潟県長岡市・楯(たて)よう子さん

自身が制作した台本を手に朗読をする楯さん

ここ数年の新型ウィルス禍によって、不特定多数への朗読や紙芝居の読み聞かせイベントが大きく制約を受けるようになってしまった。そのような渦中でさえ、新潟県長岡市在住の朗読表現者・楯よう子さん(70歳)の活動は輝かしい。YouTube上で朗読や紙芝居を続けるなど、新境地をどんどん開拓している。

表現者としての名字「楯」(たて)は、下の名前「よう子」に合わせてつけたという。ある日、運動靴の片方に下の名前「ヨウコ」と片仮名で書いた。もう一方には「tate」と書いた。左右併せて並べると、「tate・yoko」である。

大学卒業以来、新潟県内各地の高校で数学教師として21年間勤務した。その間に家庭を持ち、子育ても一段落した。一見、順風満帆に進んでいたかのように思えた楯さんだったが、「40を目前にして人生に迷い始めた」という。生活が落ち着き、少し気持ちに余裕ができたせいだろうか。次第に「人生とは何か」「人間とは何か」という物思いにふけるようになっていったという。

一念発起し、再び大学受験を経験した。見事、新潟県内の医学部に合格した。43歳の春のことである。もともとカウンセリングに関心があったという楯さんは、患者との1対1の対話を通して治療を進めていく精神科の世界へと惹かれていった。「細かい手先を使う作業が苦手だった」と語る楯さんだが、精神医学という分野が、“人間とは何ぞや”ということをテーマに学究生活を送っていた楯さん自身と馬が合ったようである。無事に大学を卒業した楯さんは、2002年から正式に精神科医としてのキャリアを歩み始める。

自身の経歴について語る楯さん

精神科医として日々、多くの患者と向き合う中で、自分の中にある感情を外の世界へと向けて表現することに関心を抱いた楯さんは、次第にその感情の表現を少人数の患者とのやりとりだけではなく、さらに多くの人たちがいる場へと表現することに目を向けるようになる。楯さんが演劇の世界に関心を抱く道筋は必然だったのかもしれない。

転機が訪れたのは、2017年のことである。県内で開催されたリーディング・ワークショップに参加した際、同じく長岡市を中心に活動している朗読家・加藤博久さんとの出会いがあった。加藤さんの元で朗読を習い始めた楯さんは、やがて紙芝居師としての活動を開始することとなる。「もともと人前で何かするのも、大きい声で話すのも不得手だった」というから、大変な自己変容である。

当初は、市内の介護施設を中心に紙芝居の読み聞かせなどを行ってきた楯さんだったが、紙芝居にはそもそも子ども向けの内容が多く、なかには物足りなさを訴えてきた利用者も出始めた。また、楯さんのなかには常々、「日々の大変な仕事の中で勤務している施設のスタッフの人たちにも聞いてもらい、(読み聞かせを通じて)心が豊かになってもらえれば」という想いもある。こうした経験や想いを経て、楯さんは今後のご自身の紙芝居語りを「大人も子どももみんなが楽しめるものにしていきたい」と工夫を凝らしている。

楯さんの想定している語りの相手は地元の日本人だけに留まらない。市内の大学に通う留学生との交流をきっかけに、新潟の昔話を英訳する取り組みも行っている。2022年には、『冥土めぐり法印の語り:Hoin, the Greatest Buddhist Priest”』『竜宮生まれ乙姫ばばさの語り:The Story of the Old Princess Otohime Born in the Palace of the Dragon King under the Sea』の2冊を出版した。将来的には「就業のため来日してくる介護従事者なども対象に、海外の人にも日本の文化を伝えたい」と夢は大きい。

楯さんが制作に関わった英訳本 販売も視野に入れてISBNと書籍JANコードもしっかりと取得済みである

近年は、創作活動にも関心を寄せている。2019年には、自身のWebサイト「悠久城風の間」を開設した。そこでは単に紙芝居語りや朗読の動画をアップするだけではない。ブログ内でそれぞれの物語の自分流の解釈やエッセイなど添えている。それら記事をまとめて2022年9月に出版した最新のエッセイ集『そろそろ紙芝居』の評判も良い。

2022年6月には、新潟市で行われた朗読劇の「常陸坊海尊」にも常陸坊海尊役で出演した。琵琶を弾きながらの登場シーンに影響を受け楯さんは、自身でも琵琶も購入し、練習も開始した。

「高校教員、精神科医と続く第3のステージに、今後は表現者としてデビューしたい」と意気込みを語る楯さん。新潟の民話には、子どもに聞かせることも憚られるような残酷な話も多いが、それらをモチーフにして、県内の自殺予防にもつながるような、誰もが安心して聞くことが出来るような民話を創作していきたい」と、精神科医としての視点も忘れていない。

教員として多くの子どもたちの心の成長に触れた日々を過ごし、現在も精神科医として人々の心の機微に向き合っている。だからこそ、楯さんの語りはリアルに、我々の心に響いてくる。

楯さんのチャーミングな笑顔に癒やされる

(文・撮影 湯本泰隆)

【関連リンク】
楯よう子さんWebサイト 『悠久城風の間』

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