岡山県の備中地方は、古くからの麺処って知っていますか?
かつては小麦の生産が盛んで、天候もよい地域なので、麺処になりました。
その歴史は9世紀頃までさかのぼり、朝廷に献上した記録も。
現在も岡山県南西部では手延べ麺の生産が盛んですし、倉敷のぶっかけうどん、笠岡ラーメンなど個性的な麺料理があります。
そして、江戸時代の宿場町の風情が残る矢掛町(やかげちょう)も、古くから小麦栽培が盛んで、歴史ある麺処。
今も町内には、多くのうどん店があるほどです。
そんな矢掛町に、こだわりのうどんを作るお店があります。
そのお店は、「おうどん いおり」。
おうどん いおりを運営する妹尾 竜郎(せのお たつろう)さんは、地元でうどんの名人として名を馳せたうどん職人・守屋さんに、必死のお願いをして弟子入り。
最後の弟子として技術を教わりました。
しかし、「平成30年7月豪雨」で店舗は被災してしまいます。
被災後、仲間の支えやクラウドファンディングでの支援を通じ、お店を再開。
うどん処である矢掛の地で、師匠から受け継いだうどんの味を守り続けている「おうどん いおり」を紹介いたします。
おうどん いおりとは?国道486号沿いのJA農産物直売所「きらり」内にあるうどん店
おうどん いおり(以下 いおり)は、矢掛町のほぼ中央にあります。
所在地は、矢掛を東西に貫く国道486号線沿いにある、JA(農協)倉敷かさやが運営する農産物直売所「矢掛宿場の青空市 きらり」の中。
約300メートル東には「食工房つお」もあります。
▼いおりの店舗があるおは、建物の向かって右側です。
▼店の前には、店名の書かれた幟(のぼり)が建てられているので、目印にしてください。
いおりは、きらりから西へ約2kmの小田地区にある「小田ずし」という寿司店が運営しています。
平成22年(2010年)に、いおりは開店しました。
それ以来、地元住民を中心に、多くのお客さんが訪れている人気のうどん店です。
▼店内はとても広くなっています。
▼カウンター席からテーブル席まであって、テーブルのテーブルのあいだも広く、1人でも家族連れでも利用しやすいと思いました。子供用のイスもあります。
いおりは、セルフ式のうどん店です。事前に食券を券売機で購入しましょう。券売機は入口のそばにあります。
食券を購入したら、店員に見せてください。
食べ終わったら、食器を返却口に戻します。
なお、いおりの駐車場は「きらり」と共同です。
国道沿いで台数の多い広い駐車場をそなえているので、気軽に寄れるのも魅力ではないでしょうか。
おうどん いおりの人気メニュー・おすすめメニュー
価格は消費税込。2022年(令和4年)11月時点のもの
いおりには、たくさんのメニューがあります。
そのなかで、人気のメニューやおすすめのメニューを紹介します。
ちなみに、うどん類はプラス100円(税込)で大盛り(2玉)に、プラス150円(税込)で超大盛り(3玉)にすることも。
いおり名物の「きつねうどん」
「きつねうどん」は、いおりを代表する名物うどんです。
入口の幟(のぼり)にも写真がありました。
きつねうどんの価格は、600円(税込)です。
▼うどんの上に乗っている揚げは、丼を覆い尽くすほどの大きさで、厚みもあり、インパクト抜群。
やはり、まずはこのインパクトある分厚い巨大揚げから。
大きいだけでなく、味がよく染みこんでいるので、重量感があります。
大きな揚げを懸命に口にほおばり、歯を力を入れていくのと同時進行で、揚げから甘い汁がジワッと染み出てきて、口内に拡散。
甘みのある味がよく染みこんでいて、揚げだけでも十分おいしいです。
さらに、揚げをうどんのつゆにしっかり浸してから頬張ると、甘い汁とダシのコラボレーション。
これぞ、きつねうどんの醍醐味!
実は、いおりは揚げにもこだわりがあります。
もともとは、矢掛の老舗豆腐店に依頼して作ってもらっていましたが、豆腐店が閉店。
なかなか厚みのある揚げを作ってもらえる店がなく、やっと現在のお店にお願いすることができたそうです。
▼麺は太めで適度なコシがあります。
麺をすすり噛みしめてみると、とてもモッチリとしたあんばい。
これは、ツルッとした讃岐うどんとは少し違う感じ。
つゆと絡むとさらにおいしい。
▼師・守屋さん直伝のダシを楽しめるつゆ。
つゆを口に含むと、意外と醤油っぽい感じがありません。
とても優しさを感じる味が広がっていきます。
甘みを感じるような、独特の味が魅力のつゆです。
3種類ある「ぶっかけうどん」
お店の話では、ぶっかけうどんには冷たいものと温かいものがありますが、冷たいぶっかけうどんは夏場の人気メニューとなっているそうです。
いおりのぶっかけうどんは、以下の3種があります。
▼取材のときは、肉ぶっかけ(冷)を大盛りで注文しました。
数々の具材が美しく盛られ、食欲をそそります。
▼たくさんの具材がありますが、どうしても中央に盛られた肉に注目してしまいます。
肉を食べてみると、まず甘みを感じます。
噛み進めていくと、肉からうま味がジワジワと出てくる感じ。
▼いおりのぶっかけは、自分でつゆをかけてから食べるスタイルです。
つゆをぶっかける一手間も、楽しい瞬間。
▼きつねうどんと同じく、麺は太めでもっちりとした食感ですが、温かいきつねうどんとは違った、やや締まった印象です。
冷たい肉ぶっかけのつゆを口に含むと、甘みと同時にほのかな酸味が。
とても爽やかな印象です。
暑い夏に食べやすいうどんではないでしょうか。
また、大盛りは2玉分ですが、とてもボリュームがあり、お腹いっぱいになりました。
肉ぶっかけは食べやすくておいしかったので、私は大盛りでもアッという間に平らげたのです。
緑茶を練り込んだオリジナル麺「ちゃちゃめん」
「ちゃちゃめん」は、いおりオリジナルの麺です。
岡山県の美作市(みまさか し)海田(かいた)産の茶葉を練り込んだ麺で、茶葉の自然な緑色をしています。
小麦粉は岡山県産の「ぼっけぇ粉」、麺の仕込み水には矢掛の良質な地下水を使ったこだわりの麺です。
緑茶のさわやかな風味やのどごしが楽しめます。
▼ちゃちゃめんを使ったメニューは以下のとおりです。
夏に人気の「ざるうどん」と冬に人気の「釜揚げうどん」
お店の話では、暑い夏には冷たいぶっかけうどんのほかにも、「ざるうどん」も人気があるそうです。
また、寒い冬には「釜揚げうどん」がよく注文されます。
ざるうどんも釜揚げうどんも、天ぷらとセットになった「天ざるうどん」「釜揚げ天ぷら」を注文するお客さんも多いとのこと。
ざるうどんと釜揚げうどんには、小さいサイズもあるのもポイントではないでしょうか。
寿司屋の味が楽しめる稲荷寿司や天ぷらなどのサイドメニュー
サイドメニューでは、「小田ずしのおいなりさん」や天ぷらがおすすめです。
おいなりさんや天ぷらは、いおりを運営する寿司屋の小田ずしの魅力が詰まった商品。
お寿司屋さんの味が楽しめるので、人気です。
「天ぷら盛り合わせ」のほかにも「かき揚げ」や「天丼」もありました。
小田ずしという寿司店が運営しているということで、ついつい天ぷらやおいなりさんも欲しくなってしまいます。
取材時、おいなりさんは売り切れてしまったので、次回は必ず食べます。
うどん・寿司・天ぷらを作って味わう、和食体験教室も実施
いおりでは、うどん・寿司・天ぷらの3種類の和食を作って食べる体験教室もおこなっています。
2022年11月現在は、新型コロナウイルス感染症対策のため休止中です
体験の時間は1時間半〜2時間。
予約のみ対応していますので、事前に電話で予約が必要です。
▼料金は、以下のとおり。
うどんも寿司も、子供が大好きな食べ物です。
また、天ぷらは自分で作るとき、おいしく揚げるのが難しいもの。
大人にとっても、体験教室はためになると思います。
うどんだけでなく、寿司や仕出し料理もやっている「おうどん いおり」ならではの体験教室です。
ぜひ、親子で体験教室を利用してみてください。
魅力的なうどんがたくさんある、いおり。
そんないおりを運営する、有限会社 小田ずしの代表取締役・妹尾 竜郎(せのお たつろう)さんにインタビューをおこないました。
おうどん いおりの代表・妹尾 竜郎さんへインタビュー
おうどん いおりを運営している有限会社 小田ずしの妹尾 竜郎(せのお たつろう) 代表取締役に、話を聞くことができました。
インタビューは2019年5月の初回取材時に行なった内容を掲載しています。
一番好きなうどんを作る職人さんに弟子入りを志願
──おうどん いおりを開業した経緯を教えてください。
妹尾────
実は、もともと私は寿司屋なんですよ。
いおりの約2キロメートルほど西にある、「小田ずし」という店です。
昭和53年(1978年)に開店し、私で三代目になります。
二代目だった父は、四国の出身でしたので、大のうどん好きでした。
私が幼いころ、私を連れてよくいろいろなうどん店をめぐっていましたね。
訪問したうどん店の中で、私や父が一番好きだったお店があります。
そのお店で、長年うどんを作られていたのが、守屋さんという人です。
守屋さんには過去にたくさんの弟子がいて、守屋さんの作るうどんのファンも多いうどん名人。
そんな守屋さんの作るうどん、特にダシがすごく好きでした。
守屋さんがうどん作りから引退したあと、小田ずしに来てくれたことがあったんです。
そこで、これが最初で最後のチャンスかもしれないと思い、「うどん作りを教えて欲しい」と必死で守屋さんにお願いしました。
守屋さんからは、「最後の弟子にしてやる」といわれ、弟子入りが認められたんです。
それからは、守屋さんが小田ずしに通ってきてくれて、ひたすらうどん作りを学びました。
うどん店もいっしょに200店以上めぐりましたよ。
守屋さんからは、約2年ぐらい教わりました。
最初うどんは、小田ずしで出していたんですが、しだいに口コミで評判が広まって、たくさんのお客さんがうどんを食べに来てくれるようになったんです。
そこで、うどん店を出そうと思いました。
ちょうどそのとき、矢掛町内にJA(農協)が「きらり」という農産物直売所を出すという話があり、縁があってそこに出店できることになったんです。
そして、平成22年(2010年)にいおりを開業しました。
今は軸足をうどん店に移し、小田ずしは夜に予約のみの営業としています。
「失敗したものを提供するくらいだったら、その日は店を開けるな」という教え
──開業後にたいへんだったことはありますか?
妹尾────
守屋さんからの教えで、「失敗したものを提供するくらいだったら、その日は店を開けるな」といわれていました。
実は、うどん店の開業から数日後に、ダシを失敗してしまったんです。
守屋さんの教え通り、その日の店の営業をやめ、来店したお客さん1人1人に頭を下げて謝りました。
慣れるまでは、同じようなことが何度もありましたよ。
でも、今では守屋さんのこの教えは、とても大切だったと痛感しています。
矢掛町は古くから小麦栽培が盛んだったので、うどん作りも盛んな地域。
だから年配のかたを中心に、うどんへのこだわりが強く、味に対してものすごく厳しい人が多い土地なんです。
当店は地元のお客さんが多く、お客さんからかなり厳しい意見をいただくことも…。
そんな地域柄だから、満点ではないうどんを提供してしまったら、またたく間に悪い評判が広がって、のちのちお店に悪影響を与えることになっていたと思います。
守屋さんの教えを守ったことで、地域のみなさまに多くご来店いただけるようになりました。
毎日通ってくださるお客さんまでいますよ。
──守屋さんは厳しい人だったんですね。守屋さんとの思い出で印象に残っていることはありますか?
妹尾────
守屋さんは、うどんに対してまったく妥協をしませんでした。
だから、とても厳しく教えてもらいましたよ。
うどん作りを教えてもらっているとはいっても、小田ずしの店主は私。
でも、端から見たら立場が逆転して見えたほどでした。
また、うどんだけでなく商売の基本も教えてもらったと思っています。
「失敗したものを提供するくらいだったら、その日は店を開けるな」という教えもそのひとつですね。
それと、守屋さんからは、ずっと褒めてもらったことがなかったんです。
店を開業してからも、守屋さんはよく店に来てくれて、いろいろ指導をしてくれていましたが、それでも褒められることはありませんでした。
しかし、弟子入りから5年くらいたったときに、初めて褒めてくれたんです。
まわりの人も褒めたことが信じられないようすでした。
それほど守屋さんが褒めるということが、すごいことなんですよ。
初めて褒められたとき、最初は突然のことで驚きのほうが大きかったのですが、あとでうれしくなってきました。
いっぽうで、守屋さんから卒業したみたいでさみしさも感じています。
それから2年くらいたって、守屋さんは亡くなってしまいました。
しかし、守屋さんの味を受け継いでいるという噂を聞きつけた守屋さんのファンが来店されることも多いんです。
矢掛町外、さらには岡山県外からの来店もあります。
あらためて守屋さんの偉大さを感じましたね。
「平成30年7月豪雨」で被災したが仲間の支えで再開を決意
──「平成30年7月豪雨」では、矢掛でも大きな被害がありました。いおりでも被害がありましたか?
妹尾────
当店の約100メートル南を小田川が流れています。
実は真備町の土手が決壊する前に、当店南側の小田川の土手が崩壊したんです。
だから、当店をふくむ一帯は浸水による被害を受けました。
いおりは、170センチメートルくらい浸かっています。
敷地内や店内には、店の備品や設備のほか、土砂や瓦礫がたくさん流れ込んできていました。
私は、そのとき矢掛町外に外出中だったんですよ。
帰宅するとき迂回しましたが、道に土砂が流れ込んでいる場所が何ヶ所もあって、土砂をよけながら長い時間かけて帰宅したのを覚えています。
自宅はちょうど、家を新しく建てて、引っ越しをする直前だったのですが、新築の家は床下、旧宅は60センチメートルくらい冠水しました。
自宅は大きな被害ではなかったのが、不幸中の幸いです。
しかし、私は地元の消防団に所属しているので、災害当日は防災対応などで大変でした。
水門の作業をしていたとき、突然水位が下がったときがあったんです。
あとで知ったんですが、そのときこそ真備町で大きな浸水被害が発生したときでした。
──被災してから店を再開するまでは、どのようにしましたか?
妹尾────
被災の翌日、朝から店の片付けをおこないました。
なんと、商工会青年部の仲間が県内各地から手伝いに来てくれたんです。
総勢30人くらいで、遠くは美作市からも来てくれました。
そのため、店の片付けは想像以上に早くすみ、一日で終わりました。
夜に片付けが終わって、さっそうと帰って行く仲間たちの姿は頼もしく、感動しましたよ。
土砂や瓦礫に埋もれた店を見たときは、再開は絶望的だと思ってあきらめていました。
しかし、みんなと力を合わせて片付けていき、店の床が見えたとき、ふっと「再開しようかな」と思ったんです。
それから1ヶ月くらいは、地元の被災した家や学校の片付けを手伝い、隣町の真備町へ行って片付けの手伝いに専念しました。
片付けの手伝いが一段落してから、知人がやっている山梨県の富士山のふもとにある天ぷら店に働きにいきました。
店を再開させる資金を少しでも貯めたかったからです。
──いおりは、クラウドファンディングを使って再開資金を支援してもらったとお聞きしました。どのような経緯でクラウドファンディングを使ったのでしょうか?
妹尾────
山梨県から帰ってきてから、再開に向けて少しずつ準備を始めました。
そんなとき、岡山県中央会のかたから、クラウドファンディングを紹介されたんです。
はじめは、クラウドファンディングをよく知らなくて、半信半疑だったのですが、話を聞いているうちに挑戦してみようかなと思ってきたんですよ。
紹介してくれたかたの手助けもあって、なんとかクラウドファンディングで支援を呼びかけることができました。
すると、なんと3日で目標を達成することができたんです。
とても驚き、感謝でいっぱいでした。
そして、備品や設備を購入したり、店内の改装などをおこない、平成30年(2018年)の12月に仮オープン。
平成31年(2019年)1月に正式にお店を再開させることができました。
ちなみに、従業員は幸い全員被災することがありませんでした。
今も、引き続きお店に残って働いてくれているのは、とてもありがたく思っています。
これからも師の味を守っていきたい
──今後やってみたいことや、展望などはありますか?
妹尾────
私は「うどん屋をやりたい」というより、「好きだった守屋さんの味を守っていきたい」という気持ちで、今までやってきました。
父から受け継いだ寿司屋としてのダシの技術と、それとは違う守屋さんから受け継いだうどん屋としてのダシの技術を継承していきたいと思っています。
また、お客さんの満足度のなかで、味の占める割合は30%くらいと私は思っているんです。
味の30%の部分で満点をめざしつつ、残りはお客さんへのサービスを充実させることで、お客さんに満足していいただけるようにしたいと思います。
たとえば、ネギが好きな人にはネギを多めにしたり、ワカメが好きな人はワカメを多めにしたり、ワサビとショウガを好みに応じて変えたり、お客さんの要望にできる限り応じていますよ。
あとは、クラウドファンディングの返礼としてやった体験教室にも力を入れていきたいですね。
子供はうどんや寿司が好きですし、親はおいしい天ぷらが習えるので、親子で楽しんでもらえていますので、新たな事業として育てたいと思います。
それと山梨県の天ぷら屋へお手伝いに行ったときに、インバウンドの可能性も感じました。
今後、インバウンドにも力を入れてみたいですね。
おわりに
「おうどん いおり」の妹尾さんのお話を聞いて、亡くなった守屋さんのうどんは本当においしかったんだろうなと思いました。
今はもう、守屋さんのうどんを食べることはできません。
しかし、めったに褒めない守屋さんが褒めた、妹尾さんのうどんを通じて、その味を楽しむことができます。
妹尾さんは「矢掛はうどんの味に厳しい土地柄」といいます。
しかし、その矢掛の人たちや、かつての守屋さんのうどんのファンもいおりに通っているのは、妹尾さんの味が認められているからではないでしょうか。
また、いおりは豪雨で被災し、クラウドファンディングなども駆使して店を再開しました。
災害という苦難を乗り越えて、今日も「おうどん いおり」は師・守屋さんの味を守っています。
ぜひ、いおりのうどんを楽しんでみてください。