【いざ、ラリージャパン2022】注目の参戦ドライバー紹介/Vol.6『オット・タナク』

 いよいよ日本に帰ってくる、ラリージャパン。WRC世界ラリー選手権『フォーラムエイト・ラリージャパン2022』が、11月10~13日にシーズン最終戦として愛知県と岐阜県を舞台に開催される。北海道での開催以来、実に12年ぶりのカムバックとなる日本での世界選手権を楽しみ尽くすべく、ここではエントリーリストに名を連ねる有力参戦ドライバーや、今季より導入の最高峰“Rally1(ラリー1)”クラスの最新ハイブリッド車両の成り立ちや個性を紹介する。その第6回は東欧エストニア出身の先輩による推挙を受け、フォード系ドライバーとして経験を積んだ後にTOYOTA GAZOO Racing WRT(ワールドラリーチーム)に加入、自身初のドライバーズチャンピオンに輝いた現ヒョンデ・シェル・モビスWRTの【オット・タナク】にスポットを当てる。

 タナクのキャリア黎明期を支えた人物として、かつてスバルやフォード、プジョーに在籍したマルコ・マルティンの存在を抜きには語れない。

 現在も彼のキャリアマネジメントを担うマルティンは、2000年代初頭にST185型トヨタ・セリカGT-FOURやカローラWRCなどをドライブし、プライベーターとして挑戦を始めると、2001年のスバルを経て翌年にはMスポーツ・フォードに加入。ここで一気に才能を開花させ、2003年にはエースとしてWRC初優勝を記録。キャリア通算5勝を挙げ、エストニアを代表するラリーストとして活躍した。

 引退後もWRカーなどの開発に携わり、最終型の『フォード・フォーカス』や『フィエスタ』のS2000やWRカー、そして古巣でもあるプロドライブ製『ミニJCW(ジョンクーパーワークス)WRC』のテストも担当し、その開発能力を遺憾なく発揮。そのかたわら母国の若手有望株へのステップアップ支援も担い、そこで見い出されたのがタナクだった。

 2010年にはヘイデン・パッドンらとともにFIA国際自動車連盟とピレリが推進する若手育成プログラム『ピレリ・スタードライバー』の一員としてPWRCに参戦したタナクは、ミツビシ・ランサーエボリューションXのGr.N(N4)仕様をドライブして2勝を飾ったことで、翌年はマルティンが運営するMMモータースポーツからフォード・フィエスタS2000でSWRCにエントリー。ここでも3勝を挙げてランキング2位に喰い込む。

 この活躍で注目を集めたタナクは、同年の最終戦ラリーGBでのちにエルフィン・エバンスらも装着する中国製DMACKタイヤを履き、ブランドとともに初のWRC最高峰カテゴリーデビューを果たす。

 ここで初戦ながら6位入賞の初ポイントを獲得して以降、翌年からはMスポーツ・フォードのトップチームと、サテライトのDMACKを往復するような、いわば“下積み時代”とも言える数年間を過ごすことに。しかしそんなタナクの転機は、続く2017年に訪れる。

キャリア初期のフォード時代には、トップチームと、サテライトのDMACKを往復するような、いわば”下積み時代”とも言える数年間を過ごすことに
タナクのキャリア黎明期を支えた同郷出身の大先輩、マルコ・マルティン。現在は地元でタナクとの協業事業も営む
2015年の第3戦メキシコでは、コースオフを喫し貯水池に水没。フィニッシュランプにはシュノーケル装着で登場し、世界的に有名な沈没船の名をもじり『TiTanak(タイタナック)』の称号も得た

■ヒョンデのドライバーとして戦うのはラリージャパンが最後

 WRカー最後の大幅改変となった規定導入初年度に、セバスチャン・オジェの僚友として三度トップチームに昇格したタナクは、開幕から好調を維持し、第7戦サルディニアでついに初優勝を手にしてみせる。同年第10戦のラリー・ドイチェランドではターマックも制覇し、年間ランキングでも3位を獲得するなど飛躍のシーズンとなった。

 これを見た当時のTGR WRTのトミ・マキネン代表は、タナクに対し高待遇の条件をオファー。その求めに応じ「No.2ではなくチャンピオン候補として戦えるシート」を求め、翌年にはトヨタ陣営への移籍を決める。その初戦モンテカルロでは、古巣フォードのオジェに次ぐ2位表彰台を獲得すると、ツール・ド・コルスでの2位を経て第5戦アルゼンチンで『ヤリスWRC』での初優勝をマークする。

 その後もフィンランド、ドイツ、トルコと3連勝を飾ったタナクは、終盤の失速でドライバーズランキングこそ3位に留まったものの、トヨタの復帰後初となるマニュファクチャラーズタイトル獲得に貢献した。

 そして2019年。シトロエンのオジェやヒョンデのティエリー・ヌービルらとタイトル争いを展開したタナクは、年間6勝を挙げるとともに、森林火災の影響で開催キャンセルが決定していた最終戦オーストラリアの目前、スペイン・カタルーニャの最終パワーステージを制して2位フィニッシュ。この瞬間に、エストニア出身ドライバーとして初の世界チャンピオンに輝いた。

 この実績を提げ、2020年にはディフェンディングチャンピオンとして華々しくヒョンデ・シェル・モビスWRTへ移籍。今季までの過去3年間で5勝を挙げ、2022年新規定車両のヒョンデi20 Nラリー1では3勝を飾っている。

 しかし最終戦ラリージャパン開催直前となる10月23日には、複数年契約のオプション権を行使し「一身上の都合により」チームからの早期離脱を表明。昨季最終戦モンツァも同様の理由で欠場し、2022年開幕前には新たな複数年契約にも署名していたが、来季は新天地を求める決断を下し、ヒョンデのドライバーとして戦うのは今回のラリージャパンが最後となる。

「これは個人的な決断であり、慎重に検討し、チームを尊重したうえでの決断だ。しかし僕は自分のキャリアのなかで、新たなチャレンジに踏み出すべき段階にきたと感じている」と明かしたタナク。

「僕たちは困難な時期を乗り越えるために一緒に努力してきた。そして今季僕らが示したように、それは正しい方向に進んでいる。シーズン後半は、物事がうまくいったときに達成できるパフォーマンスレベルを示すことができたが、僕にとっては新しいことをする時期が来たんだ。チームの理解に感謝している。また、彼らの健闘を祈っている」

2016年の第7戦ポーランドでは、DMACKタイヤで最終SS直前までラリーを支配したが、パンクで惜敗。落胆するタナクをオジェらが称える一幕も
年間6勝、3度の表彰台を獲得した2019年にはチャンピオンを獲得。トヨタとしても1994年のディディエ・オリオール以来の王者誕生となった
来季は新天地を求める決断を下し、ヒョンデのドライバーとして戦うのは今回のラリージャパンが最後となる

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