「地盤」「看板」「鞄」なし、でも都道府県議会議員で当選の方法って?(オフィス・シュンキ)

来春に控える統一地方選挙まで残り半年を切りました。立候補予定の方々は、準備に入られていることと思います。

私も数年前、同じ経験をしました。私は2015年4月に行われた統一地方選挙で、京都府議会議員選挙に京都市西京区(3人区)から初めて選挙に立候補して9011票を獲得して当選しました。

当時の準備や戦い方が、今、立候補を考えている、特に新人の方に参考になればと思っています。

選挙には「3ばん」が必要、といわれています。3ばんとは、「俗に選挙に当選するのに必要とされる3つの条件。すなわち地盤(勢力・組織)、看板(評判・知名度)、鞄(かばん・資金力)」(デジタル大辞泉=小学館=)とされています。

まず、地盤。私の場合、京都に住んだこともなく、勤めた会社も通った学校も京都府、および京都市内には無縁の全くの「落下傘候補」でした。

次に、看板。記者出身の私でしたが通信社に20年以上在籍しており、記事に署名がないものが大半でしたので世間的には無名。

最後に、かばん。これは、通信社を早期退職した際の退職金が少しありました。しかし「200万円で神戸市会議員になれた」という当時、神戸市会議員だった知人の言葉を聞いて「200万円あれば選挙に勝てる」と思い込んでいたことや、供託金で先に60万円を用意しなければいけない、とか、考えていなかったことが重なり、純粋な選挙自己資金として生活費込みで約150万円程度を用意するのがやっと。

つまり、3ばんなしで選挙まで半年を切ってから、全く縁もゆかりもない選挙区・京都市西京区の家賃月額5万円を切る1Kのアパートに移り住んで選挙活動開始となっていたわけです。

何も持たない私の立てた戦略は「地盤がないのだから、地盤のある人に協力者になってもらう」「看板がないのだから、看板に曲がりなりにでもなるものを手にいれる。同時に知名度を上げる努力を惜しまずする」「資金が足りないのだから、チラシなど他の立候補予定者と共通のものが出来るならそれで作る」というものでした。

実現のために、まず選挙区民だけに絞った協力者作りに力を注ぎました。選挙区内で開催されるイベントに行ける限り参加することを実行。そこに出店されている方と知り合いになりその営業されている店(基本は選挙区)に何度も顔を出す、まちづくりに関係するものでいい提案だと思ったものがあれば、その提案者と話し合い自分の政策に組み入れさせていただきました。

次に当時、府議会に1議席を持つだけで京都市議会には議席のなかった、ある国政政党への公認をお願いしました。「京都から選挙に出たら?」と誘ってくださった方が、その政党の方だったこともあるのですが、何の看板もなく落下傘では戦えない、とは思っていました。

そこで、その冬に実施された衆議院議員選挙に選挙区を含む地域から立候補された候補(結果は落選)の手伝いに中心メンバーのひとりとして入りこむなどして、その党の公認を取り付けました。

曲がりなりにも「看板」を手に入れたと同時にやったのは、駅立ちでした。

選挙区内の鉄道駅の1日の乗降者数を調べて、阪急の「桂駅」がその地域の人の移動の根幹をなしているのを確認しました。1日の乗車人数は3万人弱。区内の人口が15万人程度でしたから、約5分の1の方がこの駅を毎日、利用していることになります。ここに約半年、ほぼ毎日、私は立つことを決意しました。

幸い、無職だったこともあり、立つ時間は自由です。基本として朝の7時15分から8時30分、夜の18時半から20時。それに夜中にかかる21時半から終電(翌日の1時過ぎ)まで。1日に平均で6時間程度の時間を、ほぼ駅立ちだけに11月はじめから翌年の4月半ばまで費やしました。

その際、気をつけたのは服装です。冬場が中心でしたがスーツのみで、一度としてコートは羽織りませんでした。この格好は結果的に多くの人に声をかけていただくことに繋がり、差し入れの温かい飲み物をいただいたりもしました。首からぶら下げている小さなネームプレートを手に取って、名前を確かめてくださる区民の方が、日ごとに増えていったことで自分自身の手ごたえや喜びも大きくなっていったのは事実でした。

また、国政政党の公認を得られたことで、その政党のチラシ(政党党首との写真掲示)を、同じ政党から立候補した方と本人の写真を入れ替えただけの同じものを作って経費削減しました。

この3つの戦略で、選挙2か月前には、選挙区に住む、それまで見ず知らずだった選対の根幹となる協力者を3名以上確保することができました。落下傘が落下傘でなくなった、と思ったものです。

その方たちの協力で、3人の現職の選挙区での評判も知ることができました。そしてベテラン1議員の評判が選挙区内の複数地域で極端に悪い、というのをつかんだのです。

駅立ちの合間、子育てなどにかかわる重要な部分の改善政策を当該議員の名前を出すことなく自治会や地域の団体に対面で伝えていました。

今、いえるのは3ばんがなければ、時間の許す限り、その代わりになるもの、を作りだしていく、という試みが必要ではないか、ということです。

所属政党にいわゆる「風」があればその労力が少なくて済み、小さくなれば労力は増えます。ましてや都道府県会や政令指定都市レベルでの無名・無所属での戦いは逆風ぐらいで考える必要があります。

3バンを持つ方は、選挙プランナーにお願いするなど、持っているものをうまく利用されればいいと思います。そうでない方でも立候補を思い立ってから半年近くあると、 戦い方はある、経験上私はそう思うのです。(オフィス・シュンキ)

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