本日23日、いよいよカタールワールドカップの初戦を迎える日本代表。
相手は強豪ドイツだが、やはり初戦は何が起こるか分からない。ピッチ内外のムードを最高潮に高めて大一番に臨むことが重要だ。
日本が優勝した2011年のアジアカップ。出場はなかったものの、ムードメーカーとして注目された選手がいた。
当時サンフレッチェ広島に所属していた森脇良太だ。
そこでQolyは、現在はJ3の愛媛FCでプレーする36歳のDFに単独インタビュー!
第2弾となる今回は、追加招集で優勝メンバーの一員となったアジアカップやその裏側、同世代である長友佑都への想いなどを中心に聞いた。記事ではその一部を紹介する。
(取材日:2022年11月9日)
――ここからは2011年のアジアカップの話をうかがえればと思います。あの時は予備登録メンバーで、直前に酒井高徳選手の怪我でメンバー入りした形でした。最初にそれを聞いた時は?
電話がかかった時にもう飛び跳ねましたよね。本当にもう嬉しくて。急にもも上げジャンプを5回やったくらいテンションが上がりました(笑)。「やった!」という気持ちは今でも覚えています。
あの時は兄の結婚式で海外にいたんです。強化の方から電話をいただいて、結婚式中でしたがお兄ちゃんにすぐコソコソっと「代表招集かかった!今から行っていいか?」と伝えて。
「おお良太それは行ってこい!」ということで、お兄ちゃんの結婚式そっちのけで帰ってきたんです。それくらい、本当に嬉しかった代表招集でした。
――(中略)追加招集で試合の出場機会がないなか、どのように過ごして“チームの一員”になっていました?
一員だったかどうかは分からないですね、本当に。1試合も出場もできていないですし。
1回だけザッケローニさんにベンチ横まで「森脇!」と呼ばれて、「出るのかな!?」と思って行ったら「ごめん、間違えた」なんて言われたシーンはあったんですけど(笑)。ザッケローニさんに声を掛けられたのは唯一その時だけでした。
本当に自分自身、チームに少しでも貢献したいという想いで、無我夢中でプレーしていたというところですかね。それはもうピッチ内でもそうですし、ピッチ外でも自分の与えられた役割をまっとうしようというのがありました。
もちろん、試合に少しでも出ることが自分の成長につながるというのは間違いなくあります。でも、練習からものすごくレベルの高い選手たちとプレーできていたので、「少しでもこの時間の中で吸収してやろう」という気持ちが常にありました。
試合が終われば、次の日の練習から自分を成長するためのハードなトレーニングがスタートという感じで。とにかく本当に練習中から楽しい、そういうアジアカップでしたね。
動画では他にも、当時の日本代表チームについてやあの大会の思い出、同い年の長友佑都への想い、開催地だったカタールの印象や今回のワールドカップ、広島時代ともに戦った森保一監督、さらには今大会「ムードメーカー」として期待する選手など、たっぷり聞いているのでそちらもぜひ!(※インタビュー第1弾はこちら↓)
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なお、“最強”サンフレッチェ広島ユースや森山佳郎監督(当時)、“天才”前田俊介などについて聞いたインタビュー第3弾の動画はYouTubeの『Qoly公式Ch.』にて近日配信予定なのでこちらもお楽しみに。