【幕末維新 山口れきし散歩】 No.34 「来島又兵衛碑」

▲天使たちの声が響く(山口市亀山町)

 坂道を上ると、青い空の下には真っ白なサビエル記念聖堂。その敷地の片隅に来島又兵衛(きじままたべえ)碑は佇む。

 1817(文化14)年、長門国厚狭郡西高泊村(ながとのくにあさぐんにしたかとまりむら)(現・山陽小野田市)の喜多村家に生まれた又兵衛は、後に来島家を継いだ。

 1864(元治元)年3月、京都進発を強く主張していた彼は、中河原にあった山口政事堂へ乗り込み、制止しようとした広沢真臣(ひろさわさねおみ)と大乱闘となった。だが、そこにいた周布政之助が又兵衛を懇々と諭した。

 「家に帰れば妻から、そなたのように戦好きでは困るとこぼされるし、親友からはきついお叱りを受ける―」

 そういって又兵衛は嘆息し悄然(しょうぜん)として去って行ったという。

防長史談会山口支部長 松前 了嗣

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