サッカーW杯 日本決勝T進出 チームまとめ強敵撃破 “主将・吉田麻也”親しい後輩が語る

名古屋ユースの試合で遠征した時の吉田(後列右)と羽根田さん(後列左)

 サッカー・ワールドカップ(W杯)で強豪スペインを下して「死の組」を首位突破した日本。逆転してからの40分以上、相手の猛攻をしのぎ続けた守備の中心に、主将のDF吉田麻也(34)=長崎市出身=がいた。11月27日のコスタリカ戦は自らのミスが失点につながって黒星。試合後に批判が集中したが、気持ちを切らさずにチームをまとめ上げた。終了間際の窮地では体を投げ出して日本を救った。
 「言い訳をしないで結果で示した。実にマヤくんらしい」
 劇的勝利をそう喜ぶのは、鎮西学院高サッカー部監督の羽根田充弘さん(33)。吉田と同じ名古屋ユースで中学、高校と一緒にプレー。1学年下でかわいがられ、羽根田さんの妻が吉田と同級生という縁もあって、長崎で教員生活を始めてからも家族ぐるみの交流が続いている。
 長崎市立仁田小を卒業後、名古屋で兄と2人で暮らしながら、サッカーに励んだ吉田。当時から頼もしいリーダーシップを発揮していたことを羽根田さんははっきり覚えている。
 「いじられキャラで、いざというときはビシッとまとめる。みんなのお兄ちゃんみたいな存在だった」
 自主練習に後輩を気さくに誘い、試合では控えメンバーに感謝の言葉を忘れなかった。自身のミスをとがめられることがあっても、仲間のミスは必ずかばう。昔も今も、チームメートや友達に対する文句は一切聞いたことがない。
 吉田の同期は4人がトップチームに昇格。その中には吉田よりうまい選手もいたが、誰よりも早く海外へ羽ばたき、日本の主将を任されるまでに成長したのは、今考えると納得だ。
 「プレーだけじゃない。一番後ろにマヤくんがいると、何か安心感があるんだと思う」
 直近で吉田と会ったのは6月末。所属クラブの退団が決まり、長崎に帰省していた時だった。実家に訪問客が絶えなかったが、疲れた様子を見せずに丁寧に対応していた。長崎空港に送迎した際、ロビーに飾ってあった七夕の短冊に「早く(次の)チームが決まりますように」と書いていた。その2日後、くしくもW杯の1次リーグで対戦するドイツの名門シャルケからオファーがあったという。
 印象に残っているのは、長崎をたつ前に熱っぽく語っていた姿。
 「日本サッカーが発展するために何が必要なのか。自分ができることをやりたい」
 3度出場した五輪でメダルに届かず、前回のW杯ロシア大会も8強入りをあと一歩で逃した。集大成となる今大会こそ、苦労が報われるはず。羽根田さんはそう信じて、長崎から応援を続ける。仲間、チーム、そして日本のために戦い続ける真の主将へ。
 「もうたくさん感動させてもらったけれど、あと少しだけ頑張って。帰ってきたらゆっくりご飯でも行きましょう、マヤくん」


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