オペラ歌手・三浦環の伝記 脚本家の大石さんが実像調査 ドラマチックな人生描く

「多くの人と交流があって、人生の中で何度も殻を破っていく所がドラマチック」と話す大石さん=長崎新聞社

 大正から戦前にかけて海外で活躍したオペラ歌手・三浦環の実像に迫る伝記ノンフィクション「奇跡のプリマ・ドンナ オペラ歌手・三浦環の『声』を求めて」(KADOKAWA)を脚本家の大石みちこさん(57)=都内在住=が出版した。「蝶々夫人だけではない環の人生を知ってほしい」と語る。
 大石さんは脚本家として映画「ゲゲゲの女房」や「楽隊のうさぎ」などの作品がある。いつかリアルな女性の人生を資料を調べて書いてみたいという思いがあり、新型コロナウイルスの感染流行で時間ができたのを機に調査を始めた。実家の墓と同じ墓地にチョウをかたどった環の墓が立っていて、その人生に幼い頃から興味を抱いていた。

「奇跡のプリマ・ドンナ オペラ歌手・三浦環の『声』を求めて」(KADOKAWA)

 環は1884年東京生まれ。東京音楽学校に通った後、本場で声楽を学ぼうと1914年に渡欧。翌年ロンドンで長崎を舞台にした歌劇「マダム・バタフライ」の主役を初めて演じると一躍人気を得た。その後アメリカに拠点を移して同役を演じ続け、同作の作曲家・プッチーニは「世界にたった一人しかいない、最も理想的な蝶々さん」とたたえた。35年に帰国、46年に63歳で死去。生涯にわたり世間の注目を集め続けた。
 環の人生については晩年に口述筆記した遺稿が出版されているが、記憶違いもあり十分でないという。静岡県袋井市が保管する環と母・登波の未公開の手紙をはじめ、幼少期から晩年の写真が収められたアルバム、演奏会プログラムなど膨大な資料を調査。起伏に富んだ環の一生を史実に基づき描き出した。
 海外で環が成功したことについて、「蝶々夫人を日本人が演じるということで注目され、環自身も日本人として海外に認められるものを作りたいという気持ちがあった。世界の中の日本というのをものすごく考えた人。根底には歌うことで母を助けたいという気持ちもあったと思う」と話す。
 環は一時帰国した際、長崎市で演奏会を開いていて、グラバー園には今も環の石像が立つ。大石さんの夫は同市出身。「結婚して初めて長崎に来た時に、空港で『ある晴れた日に』のメロディーが流れていて、長崎の人はこんなにも蝶々夫人を大切にしているんだと思った。三浦環イコール蝶々夫人でなく、持ち前の明るさや知恵と勇気で運命を切り開いた環のドラマチックな人生を知ってほしい」と語る。

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