<南風>「助けて」と言える力

 最近、発達のでこぼこについてお話しする機会が増えた。実は20年ほど前にも、お話しする機会が多い時期があり、当時の手応えは、受け入れに大きな差があるなあ、というものであった。そして現在、「アスペルガー」や「ADHD」という言葉が市民権を得て、一般の方たちからも聞かれるようになった。20年前の思いは、早く多くの皆さんに理解していただきたいというものであったが、今回は次の段階のお話をしていく時期だな、と感じている。

 それは、「私もあなたも」発達の特性を持っていて、現れ具合に個人差があるのだということ、子ども時代から続いている特性が、大人になってから「大人の発達障害」として問題視されることがあること、自分でできる工夫もたくさんあることや、便利な道具もあること、周囲の人に理解と助けを求めることが有効なことなど実生活における工夫を話題にすることだ。

 発達特性の問題の中で、私が個人的に子どもの頃から興味を持っているのは、ギフテッドと呼ばれる高い知能を持つ子どもたちである。多くの場合、発達の特性が強く、恐らく特別な支援が必要な対象だと思うが、彼らと向き合うと、「支援」というキーワードを忘れてしまう。

 私が出会った数人の子どもたちは皆とても魅力的で、一言ではその特徴を言い表せない、誰とも似ていない子どもたちだった。中でも二十歳頃に出会った8歳の男の子は検査中、既に手応えが違っていた。質問への受け答えはウイットに富み、検査を受ける条件も秀逸だった。揺るぎない知識欲と圧倒的な情報量を前に、敬服した。若い私は心から、彼のこの在りようが守られることを願った。必要な時「助けて」と言える力を身に付けてほしいと思った。そしてそれが今日の私の仕事につながっている。

(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)

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