「もう一人の小嶺監督」のために 国見OB・田上渉コーチ 2019年死去の同級生、小嶺栄二さんに健闘誓う

亡き同級生の思いを胸に、全国大会に挑む田上コーチ=雲仙市、県立百花台公園サッカー

 28日に開幕した第101回全国高校サッカー選手権。長崎県代表の国見は今年1月に死去した小嶺忠敏・元監督(享年76)の下で一時代を築き、12年ぶりに選手権に帰ってきたことで話題を集めているが、OBの田上渉コーチ(40)は志半ばで他界した「もう一人の小嶺監督」のためにもと健闘を誓っている。
 「今ごろあいつも喜んどるやろ。いや、嫉妬する性格だから、もしかしたら自分が行けずに悔しがっとるかもしれん」
 今月中旬。ボールを追う高校生を眺めながら、田上さんはゆっくりと語り始めた。「あいつ」とは2019年11月に37歳の若さで死去した同級生の小嶺栄二さん。15~17年に母校国見の監督を務め、現在の木藤健太監督(41)に引き継いだ後、かなり進行した大腸がんが見つかった。
 小嶺さんは余命宣告を受けながらも現場にこだわった。半年の入院生活を経て自宅療養に入った後も戦術分析などで母校のサポートを続け、比較的体調がいい日は練習場に足を運んだ。19年の選手権県予選もコーチとしてベンチ入り。決勝で恩師・小嶺忠敏監督が率いた長崎総合科学大付に1-2で敗れた。それから1週間後、静かに息を引き取った。

2019年11月の全国高校サッカー選手権県大会決勝でベンチに座る小嶺さん。この1週間後に亡くなった=諫早市、トランスコスモススタジアム長崎

 田上さんと小嶺さんは全国高校3冠を成し遂げた2000年度のメンバーだった。主将は田上さん、10番を背負っていたのは、あの大久保嘉人さん(40)。大久保さんと同じポジションだった小嶺さんの出場機会は限られたが、早朝練習前に自主練習をするなど向上心が高く、技術はピカイチだった。大学卒業後も田上さんと小嶺さんはV・ファーレン長崎の草創期に主力として活躍。深い絆でつながっていた。
 友人から最後の願いを聞いたのは19年の初め。余命宣告から間もないころだった。
 「このまま死にたくない。国見で何かを成し遂げたい」
 友の思いに少しでも応える方法はないのか。そう考えた田上さんは、小嶺さんの実家と母校のグラウンドを片道2時間かけて送迎するようになった。
 車中では昔話に花を咲かせ、真剣なサッカー論議もした。日に日に弱っていく小嶺さんが「もっと生きたい」と弱音をこぼす日もあったが、努めて明るく接するようにした。亡くなる数日前。最後に届いたラインには「ありがとね」と記されていた。
 あれから3年。小嶺さんを知る生徒は卒業した。でも、チームは今も小嶺さんの思いを背負って戦い続けている。田上さんの計らいでOBらが資金を出し合い、小嶺さんの似顔絵をあしらった応援幕をつくったのだ。国見のユニホームのエンブレム部分が顔になっている粋なデザイン。大事な試合では必ず応援席に掲げてきた。この冬、いよいよ全国でお披露目となる。
 「栄二も一緒に連れて行けるようにしたから、納得してくれるやろう。いい試合を見せんといけんね」
 1回戦は29日午後2時10分キックオフ。横浜市のニッパツ三ツ沢球技場で北海(北海道)と対戦する。田上さんは、友へ思いをはせながら本番を待っている。


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