「仲間のため できることを」給水係で花園“出場” 難病患い選手を断念 長崎北陽台・谷村凌彪(3年)

29日早朝に家族と車で現地入り。練習前にチームメートと談笑する谷村=ロートフィールド奈良

 本当は選手として出たかった。青いジャージーを着てみんなと一緒に走りたかった。国の指定難病「再生不良性貧血」を患い、4月に骨髄移植手術を受けた長崎北陽台の谷村凌彪(りょうや)(3年)はきょう30日、選手たちに水やキックティーを運ぶ「ウオーターボーイ(給水係)」として花園のグラウンドに立つ。
 長大付中までは野球少年だった。運動能力が高く、三塁手として長崎市選抜にも入った。母、直美さんが「明るく、人見知りせず、体を動かすことが好きだった」という息子は、勉強も、スポーツも、すべてに一生懸命だった。
 近所に住んでいた長崎北陽台ラグビー部OBらの影響を受け、中学卒業後は「北陽台でラグビーをやる」と決めていた。花園で躍動する青いジャージーに憧れた。だから、初心者からの挑戦であっても苦ではなかった。「いつか自分も」。新しい仲間たちと一緒に楕(だ)円球を追い続けた。
 そんな日々が一変したのは1年生の夏。発熱が続いて「コロナかな」と疑いながら診察を受けたところ、翌日から入院となった。以降は入退院を繰り返して、思うように登校もできない毎日。白血球、赤血球、血小板などの血液成分が減少して、免疫力が著しく低下していた。運動や食事にまで制限がかかった。
 そして今春、回復が見込めそうにないため、母がドナーとなっての骨髄移植を決断。術後はコロナ禍もあって面会謝絶の入院生活2カ月、自宅療養2カ月を強いられ、学校に戻れた時はもう夏が終わっていた。
 その退院した日、車で迎えに行った母は、やせ細った息子を見て心の中で泣いた。「覚悟はしていたけれど…。悟られないように平静を保つので精いっぱいだった」
 そんな逆境に元気をくれたのは仲間たちだった。入院中と学校に戻れそうになったころ、3年生部員総出演の応援動画が届いた。「退院おめでとう」「早く帰ってこい、待ってるぞ」。一人一人のメッセージが心に染みた。「みんなのために頑張ろう」。涙があふれた。
 秋以降、徐々に部活に顔を出せるようになってからは、自らのやれることをやってきた。選手として一緒に走れたりはしなかったが、誰よりも早くグラウンドに出て、練習用のマーカーを並べ、ラインを引いた。副主将の中島拳志朗(3年)は言う。「あいつが一番強い。あんな状態なのに“頑張って盛り上げよう”と明るく元気づけてくれる。あいつのおかげで頑張れている部分もある」
 現3年生部員はマネジャー2人を含めて18人。入学時から1人も欠けずに花園にたどり着いた。病気とコロナ禍で外出もままならなかった谷村にとっては、最初で最後の花園だ。
 「みんなのためにできることをやる。一日でも長く花園にいたい」
 ウオーターボーイとして、仲間たちへ水と一緒に勇気を届ける。


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