昨年末に死去したペレ氏。生涯でフレンドリーマッチを含めて1300試合以上でプレーし1279ゴールを決めたといい、ギネスブックにも掲載されている。
それでは、公式戦に限ればこれまでのサッカーの歴史上で最も多くのゴールを決めた選手とは誰か。そのTOP10のリストをご紹介する。
10位:ジョー・バンブリック
国内リーグ:348ゴール
国内カップ:247ゴール
国際カップ:0ゴール
代表チーム:21ゴール
総合公式戦ゴール数:616ゴール
ジョー・バンブリックは1905年生まれの選手。北アイルランドのベルファストで育ち、ガス関係の労働者から21歳でグレントランに入団してプロデビュー。その1年後に名門リンフィールドへと移籍し、圧倒的なペースで得点を量産した。
リンフィールドでの8年間で183試合に出場して286ゴールを決め、しかもそのうち96ゴールが1930-31シーズンだけで記録されたものだという。その後イングランドにわたってチェルシーで活躍し、1939年に第二次世界大戦の勃発のためウォルソールで現役を引退した。
1930年2月1日に行われたアイルランド対ウェールズの親善試合ではなんと6ゴールを記録しており、これはいまでもイギリス4協会の代表チームでは1試合での最多得点記録となっている。
9位:エウゼビオ
国内リーグ:422ゴール
国内カップ:97ゴール
国際カップ:59ゴール
代表チーム:41ゴール
総合公式戦ゴール数:619ゴール
「黒い真珠」と呼ばれたポルトガル代表の伝説的ストライカー。当時ポルトガル領であったモザンビークで生まれ、ベンフィカで15シーズンにわたって活躍した。強烈なスピードと鮮やかなテクニック、圧倒的なフィジカル、そして釜本邦茂も真似を試みたという弾丸シュートで多くのゴールを叩き込んだ。公式戦以外を含めればベンフィカで決めたゴールは715試合で727を数えるとのこと。
1966年のワールドカップでは9ゴールを決めて大会得点王となり、2度の欧州ゴールデンシューも獲得。ポルトガル代表でも64試合に出場して41ゴールを決めている。
残念ながら2014年1月5日に心不全のため死去。享年71歳であった。
8位:ゲルト・ミュラー
国内リーグ:405ゴール
国内カップ:92ゴール
国際カップ:69ゴール
代表チーム:68ゴール
総合公式戦ゴール数:634ゴール
ドイツで最も偉大な点取り屋、ゲルト・ミュラー。「爆撃機」と異名をとった選手であり、ペナルティエリアのなかでの卓越した得点感覚で数々のゴールを決めてきた。
176cmという平凡な体格、短い足、太めの体型でありながら、その短距離の鋭い反応と予測、驚くべき空中戦の技術、衝撃を逃がせる低い重心、そして圧倒的な得点感覚とシュートテクニックがあった。小さなスペースでも完璧なバランスで素早くシュートに持ち込める、その本能を備えていた。
1982年に引退してからはアルコール依存に苦しみ、2015年にはアルツハイマー病に罹患。昨年老人ホームで死去したことが報告された。享年75歳だった。
7位:ジミー・ジョーンズ
国内リーグ:332ゴール
国内カップ:301ゴール
国際カップ:2ゴール
代表チーム:12ゴール
総合公式戦ゴール数:647ゴール
1928年生まれの北アイルランド人選手。整備工見習いからサッカー選手となり、アマチュアでゴールを量産した後ベルファスト・セルティックでプロになったという。
圧倒的なペースで得点を積み重ねる彼であったが、1949年にはファンの暴動に巻き込まれて足を骨折するまで踏みつけられるという事故に遭遇し、切断を避けるために手術で右足を短くしなければならなかったという。
それにも関わらず1951年に加入したグレナヴォンで合計517ゴールを決め、1965年に引退するまで変わらず多くの得点を記録し続けたという。なお2014年に85歳で死去したとのこと。
6位:ヨゼフ・ビカン
国内リーグ:518ゴール
国内カップ:129ゴール
国際カップ:41ゴール
代表チーム:32ゴール
総合公式戦ゴール数:720ゴール
オーストリアとチェコスロバキアの代表でプレーした伝説的ストライカー。非公式のものも含めれば、1089試合に出場して1813ゴールを決めたという記録もあるという。
1931年にラピド・ウィーンで活躍し、圧倒的な強さを誇ったオーストリア代表「ヴンダーチーム」のエースに。その後スラヴィア・プラハに移籍して活躍した。25年間のプロキャリアの中で12回の得点王に輝いたという。
非常にパワフルなストライカーであり、さらに100メートルを10.8秒で走る快速を持ち、さらに両足で巧みなシュートを放つことができる選手であったという。
5位:フェレンツ・プスカシュ
国内リーグ:514ゴール
国内カップ:76ゴール
国際カップ:55ゴール
代表チーム:84ゴール
総合公式戦ゴール数:729ゴール
現在FIFAの年間最優秀ゴール賞にその名を残す伝説的点取り屋、フェレンツ・プスカシュ。当時無敵を誇った「マジック・マジャール」ハンガリー代表の中心的な存在であり、その左足から放たれる驚異的なシュートで数多くのゴールを決めた。
国外に遠征している際にハンガリー動乱が勃発したため、母国への帰国を拒否して亡命。2年間の出場停止を経験したにもかかわらず、30代になってレアル・マドリーへ加入し、それからも長く活躍を続けた。政治にも翻弄された名選手である。
引退後は指導者として活動していたものの、2000年にアルツハイマー病と診断されて闘病生活に入り、2006年に惜しまれつつこの世を去った。
4位:ロマーリオ
国内リーグ:544ゴール
国内カップ:93ゴール
国際カップ:54ゴール
代表チーム:64ゴール
総合公式戦ゴール数:755ゴール
ブラジルの歴史上最も素晴らしいリアルストライカー。ヴァスコ・ダ・ガマでデビューし、1988年のソウルオリンピックで得点王になり、欧州へと進出。その後バルセロナでも多くのゴールを決めた。1994年のワールドカップでは不仲のベベトと2トップを組んでチームを優勝に導いている。
ヨハン・クライフからも「ゴールエリアの天才」であると称され、圧倒的に低い重心から誰よりも早い加速をし、狭いスペースから正確なシュートを放つ。強靭な太ももを生かした脚力と技術とセンスの為せる技であった。またそのようなリアルストライカーでありながらもコンビを組む相手を選ばず、どんなタイプの選手とも相互に活かしあった。
引退後は政治家に転身し、現在は自由党のリオデジャネイロ州上院議員。
3位:ペレ
国内リーグ:604ゴール
国内カップ:49ゴール
国際カップ:26ゴール
代表チーム:83ゴール
総合公式戦ゴール数:762ゴール
先日この世を去った伝説の選手ペレ。ロマーリオが世界最高のストライカーであれば、ペレは世界で最もパーフェクトで完全無欠の選手であった。
正確無比で強烈なシュート、味方にチャンスを与える創造的なパス、より大きな相手にも負けない空中戦、そして様々なアイデアに溢れたトリックプレー。1950年代に彼が発明したテクニックは数多く、ただ一人時代を超えたサッカーをしていた。
非公式の試合も含めればそのゴール数は1279に至ると伝えられており、この数字はギネスブックにも載っている。
2位:リオネル・メッシ
国内リーグ:487ゴール
国内カップ:71ゴール
国際カップ:137ゴール
代表チーム:98ゴール
総合公式戦ゴール数:793ゴール
先日ついに念願のワールドカップ優勝を果たしたリオネル・メッシ。まだ35歳という年齢で、公式戦でのゴール数は800に近づいている。
昨季はかなり得点から見放されていたが、今季はパリ・サンジェルマンに馴染んだこともあってか復活。ワールドカップでも多くのゴールを奪い、記録をかなり伸ばしている。
1位:クリスティアーノ・ロナウド
国内リーグ:498ゴール
国内カップ:51ゴール
国際カップ:152ゴール
代表チーム:118ゴール
総合公式戦ゴール数:819ゴール
先日ついに欧州での戦いから離れ、サウジアラビアのアル・ナスルに移籍することが決まったクリスティアーノ・ロナウド。キャリアの最後を中東のリーグで迎えることを選んだ。
特に近年その試合数を増加させている国際カップ戦での強さは圧倒的なもので、歴史上最も多くの得点を決めた、代表チームでも118ゴールというのはアリ・ダエイを凌いで世界一である。
そして晩年になって中東に挑戦することにより、また多くの得点を決めることが予測される。あと2年のサッカー選手としての人生でどれだけ数を増やすのか。