孫へ託す「原爆忘れない」 11時2分の写真募り展示 被爆者・小川さん

「忘れないプロジェクト」に取り組む小川さん(左)と孫百音さん=長崎市内

 被爆者の小川忠義さん(78)=長崎市=は、長崎原爆がさく裂した日時に合わせて撮影された写真を募り、展示するプロジェクトを14年続ける。昨年から孫の長門百音(もね)さん(19)=同市=が本格的に協力。いずれは活動を託したい祖父と、その思いを受け止めようとする孫。2人の「継承」が動きだしている。
 1歳の時、母に背負われて疎開先から爆心地近くの自宅に戻り、入市被爆した小川さん。被爆60年を過ぎた頃、「風化」を目の当たりにした。8月9日午前11時2分のサイレンが響く繁華街で、足を止め黙とうする人はまばらだった。
 2009年、小川さんは趣味のカメラを生かし「忘れないプロジェクト」を始動。「11時2分」の写真は1年目の30点から徐々に増え、昨年は手を合わせる子どもの写真など218点が届いた。小川さんも市中心部のアーケードで定点撮影を続ける。「11時2分に写真を撮ることは、黙とうと同じ。過ちを繰り返さない、忘れないための行為」
 小川さんは昨春、大学入学前の百音さんに一眼レフカメラを贈った。自身も年を重ね「活動を継承してほしい」との思いが芽生えたから。特に若者をプロジェクトに巻き込むため、高校時代から交流サイト(SNS)で友人に参加を呼びかけてくれた百音さんは頼れる存在だった。
 一方、百音さんの心境は複雑だ。今後も協力を続けるつもりだが「知識も、思いの強さも足りない。一人きりになっても被爆者の体験や思いを代弁したい、と無責任には言えない」。
 ただ、ロシアのウクライナ侵攻で核の危機が高まった昨年、百音さんの意識に変化があった。「被爆者がいなくなり、原爆のことを忘れた時に、同じことが起こってしまうのでは」。大学で学ぶ英語を生かし、プロジェクトを世界に広めたいと感じている。
 「忘れない」をつなぐ。「忘れてはいけない」を広げる-。「被爆100年の年に千枚を集めたい」と小川さん。百音さんも言う。「じいじの目標を、自分の目標にしたい」。先を行く小川さんを、自分のペースで追いかける百音さん。少しずつ歩調を合わせていく。

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