めんこにお手玉…“名人”に聞く昭和の冬遊び ネットやゲームがなくても、工夫が肝心

おじゃみを使った遊び「おさらい」を披露する金内千賀子さん

 冬は外遊びができない季節。今はインターネットやゲームがあるけど、昔の子どもたちはどうやって過ごしていたの? 福井県立歴史博物館(福井市)の常設展示「昭和のくらし」の一角を特別にお借りして、「昭和の遊び名人」の柳原秀信さん(74)=坂井市=と金内千賀子さん(75)=福井市=に、子ども時代に夢中になった福笑いやお手玉などの遊びを実践してもらった。

男の子編

 柳原さんは旧上志比村(現永平寺町)の出身。ベーゴマやけん玉はあまり遊びとして一般的ではなく「めんこ」でよく遊んだという。「方言でパッシンと呼んでいた」そうで、めんこには武将や相撲取り、野球選手など子どもたちに人気人物のイラストが描かれていた。駄菓子店で売られていて、形が丸いものは「丸パン」「丸パッシン」、四角いものは「角めんこ」「シカッパン」と呼んでいたという。

 自分のめんこを指で弾き、その勢いで相手のめんこをひっくり返す「ツメクリ」で戦い、裏返せたらもらえるというルール。めんこの強度を上げるため「機械油やろうを塗って固くした」と懐かしむ。

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女の子編

 金内さんは子どものころ、あやとりやお手玉、ゴム跳びを女の子同士でよく楽しんだという。中でもお手玉は「オジャミ」の名で親しまれ、母親から縫い方を教えてもらった。学校にも持って行ったそうで「昔は子どもの数が多く、休み時間は体育館が満杯で遊べなかった。だから教室でオジャミをよくしたんです」と振り返る。

 3~5個のお手玉を使い、ジャグリングのように玉を順に投げてキャッチしたり、片手で投げた玉をもう片方の甲でキャッチしたりして遊ぶ「おさらい」をよくしたそう。「おさらいが上手な子はみんなの人気者だった」と笑う。

廃材で工夫

 柳原さんと金内さんは、県立歴史博物館のイベントや活動を支える「ミュージアム・サポーターズクラブ」のメンバー。年に数回、イベントで子どもたちに昔遊びを教えている。

 昔は物があまりなく、今のようにおもちゃを買って遊ぶより「落ちていた廃材を使って遊んだ」と柳原さん。自転車の車輪を棒で転がしたり、竹の棒を集めて投げたりと、工夫とともに遊びはあったそう。昔の遊びの記憶も立派な郷土の遺産。おじいちゃんやおばあちゃんに、昔の遊びについて聞いてみては。

※動画では福笑いや紙鉄砲も紹介。

 県立歴史博物館の常設展示「昭和のくらし」は、日本の暮らしが大きく変わった昭和40年代前半(1965年)ごろの町並みを室内に再現。駄菓子店や食堂など内部、ノスタルジックな雰囲気が楽しめる。入館料100円(70歳以上と高校生以下は無料)。毎月第2、第4水曜休館。

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