沖縄戦体験の語り部、中山きくさん死去 94歳、元白梅学徒 平和の尊さ訴え続け

 沖縄戦で看護要員として動員され、戦後は戦争体験を語り継いできた元白梅学徒の中山きく(なかやま・きく)さん=白梅同窓会長=が12日午後10時21分、がんのため、那覇市内の病院で死去した。94歳。南城市佐敷出身。自宅は那覇市安里。葬儀・告別式は17日午後2時から2時45分、那覇市銘苅3の22、サンレー那覇北紫雲閣で。喪主は長男の章(あきら)さん。戦争の悲惨さを伝え、新たな基地建設に反対するなど平和や命の尊さを訴え続けた。
▼「基地は戦争につながる」中山きくさんが語った思い
13日に仮通夜が行われた。本通夜は16日午後4時から8時、浦添市前田2の15の1、サンレー中央紫雲閣で執り行う。
 中山さんは、沖縄戦で県立第二高等女学校の女子生徒で組織する学徒隊(白梅学徒隊)として野戦病院で負傷兵を看護し、本島南部で悲惨な戦場を目の当たりにした。
 1995年、沖縄戦から50年の節目に元白梅学徒隊の戦争体験をまとめた「平和への道しるべ」を白梅同窓会として刊行した。それ以降、「平和の語り部」として次の世代に戦争体験を語り継いできた。99年には、9校の元女子学徒隊で結成された、戦争体験を語り継ぐ「青春を語る会」の代表としても活動を開始した。
 2007年には歴史教科書での「集団自決」(強制集団死)の日本軍による強制の記述を削除した教科書検定意見の撤回と、記述の回復を求めた県民大会の共同代表として活動した。名護市辺野古の新基地建設やオスプレイ配備に反対するなど、戦後も過重な基地負担が集中する沖縄の現状を危惧し、平和の大切さを伝える活動に尽力した。
(中村万里子)
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本通夜の会場が14日の時点では「那覇北紫雲閣」となっていましたが、正しくは浦添市前田の「中央紫雲閣」です。修正しました。(15日午後4時すぎ更新)
 
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