機関車「DD51」タイで活躍! 長崎の愛好家ら支援 泰緬鉄道「歴史知り真の友好を」

日本人技術者指導の下で行われた「DD51」の整備風景=タイ(吉村さん提供)

 かつて「さくら」「あかつき」といったJRの寝台特急列車などをけん引し、引退後の2018年にタイへ渡ったディーゼル機関車「DD51」2両が日本人の技術支援を受けながら現地で再び活躍している。車両基地の近くには第2次世界大戦中、旧日本軍がタイとビルマ(現ミャンマー)間に建設した泰緬(たいめん)鉄道の起点駅が存在。支援に関わる長崎市の鉄道愛好家は「負の歴史とされる泰緬鉄道のことを多くの人に知ってもらい、両国の真の友好につなげたい」と同鉄道に光を当てる活動も始める予定だ。
 同市の鉄道愛好家団体「長崎きしゃ倶楽部」代表世話人、吉村元志さん(66)は19年、現地に技術者を派遣するため、仲間と一緒にクラウドファンディング(CF)を実施。両国の鉄道愛好家らから264万円の寄付が集まった。20年1月、技術者と一緒に現地を訪れ、基本動作や整備作業について指導。新型コロナウイルスの影響で訪問は途切れたが、オンラインによる支援を続けていた。
 2両は現在、タイ国鉄の複線化工事に使う資材運搬に活用されている。今月8、9日、吉村さんや技術者が3年ぶりに現地訪問。気温が高い環境の中、重い資材を運ぶ「ハードな使われ方をされていた」(吉村さん)。エンジンの一部などに不具合が見つかり、現地の技術者を指導しながら修理に当たった。
 車両を保有する鉄道工事会社は継続的な指導や部品調達への協力を要望。吉村さんらも定期的なメンテナンスの必要性を感じ、再度CFを実施するかどうかなど検討を進めている。

崖のそばを走る泰緬鉄道の列車=タイ(吉村さん提供)


 一方、吉村さんたちは現地に行った際、民間施設の「泰緬鉄道博物館」を訪れた。鉄道の建設当時、過酷な労働を強いられた東南アジアの人々や連合国軍の捕虜らが多数死亡したとされ、博物館正面の壁には「DEATH RAILWAY」(死の鉄道)の文字。吉村さんによると、来館者に欧米人の姿は多かったが日本人はほぼいなかった。
 オーストラリア人の施設責任者とも面会。日本人観光客への発信強化や受け入れ態勢について意見を交わした。今後、館内展示のパネルやパンフレットの日本語訳など協力できる具体策を検討していくという。
 同鉄道を巡っては、タイ国内で国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録を目指す動きもある。今年は同鉄道の開通から80年の節目を迎え「親日国であるタイと真の友好を築くためにも歴史を広く知ってもらう方法を考えたい」と吉村さん。さらに「日本で引退した後、タイに渡った車両はたくさんある」と話し、今後も鉄道を通じた友好活動に意欲を見せている。


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