「売国奴」「日本から出て行け」銀座の沿道から浴びせられる言葉 沖縄ヘイトの隣の無関心、今も 建白書10年

 オスプレイ配備撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去を求める建白書を国に提出してから10年が経過した。提出前日の2013年1月27日、建白書に署名した県内全市町村長・議長、県議らは、沖縄の窮状を訴えるため東京・銀座をパレードした。だが、参加者を待ち受けていたのは「一部の憎悪と多数の無関心」だった。

 「売国奴」「日本から出て行け」。沿道から憎しみに満ちた言葉が飛んだ。写真や映像に残る参加者の表情はどれも険しい。この時、参加者が気にしていたのは、マイクを持って汚い言葉を浴びせる人々ではなかった。

 先頭を歩いた那覇市長(当時)の翁長雄志さん(享年67)は、帰沖後、妻の樹子さんに「汚い言葉より沿道の無関心さがショックだった」と打ち明けた。後に市議会で当時の心境を問われ「(多くの国民は)何事も起きていないかのように目と耳をふさぎ、思考停止状態に陥っている」と振り返った。

 隣を歩いていた元連合沖縄会長の仲村信正さんc(74c)も同じ心境だった。「ひどい言葉を浴びせる人よりも、沿道の人々の方が気になった。きょとんとしていて、無関心に通り過ぎていく」

 保革が一致点を見いだし、形となった建白書。「オール沖縄」が芽吹き、県内では過重な基地負担からの脱却に期待が高まっていた。だが、その期待は「無関心」の壁に阻まれた。翁長さん、仲村さん、県議会議長(当時)の喜納昌春さんc(75c)は要請行動後、那覇市首里の小さな居酒屋で反省会を開き「ヤマトゥーは…」と、埋まらない意識の差を嘆いた。

 あれから10年。仲村さんは国内世論が「さらにひどくなった」と感じる。ロシアのウクライナ侵攻、強調される台湾有事。自衛隊強化も進み、沖縄の負担は増すばかり。インターネット上にはあの時と同じ沖縄憎悪の言葉が並ぶ。もっと多くの無関心が潜む。

 それでも、仲村さんは「声を上げ続けなければいけない」と決意を強くする。「悲惨な戦争を繰り返してはいけない。そこに気づき、共感してくれる人は、きっと出てくるはずだ」と信じる。

 翁長樹子さんも同じ言葉を口にする。「沖縄が一丸になっても、政府は聞く耳を持たなかった。(政府寄りの判決を出す)裁判所にだってうんざりしている。心が折れそうになるけど、沖縄が〕抗があらが「って声を上げ続けないと、国民は関心を示さない」。無関心との戦いは今も続く。(稲福政俊)

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