三笘薫もこわい!世界最怖の「背番号22」たち

プレミアリーグで対峙するDFたちを震え上がらせている日本代表FW三笘薫。

昨年のワールドカップではまさかの9番だったが、所属するブライトンでは22番をつけている。

ここでは、22番をつける名アタッカーたちをとりあげてみる。

アンヘル・ディマリア

ユヴェントスに所属するアルゼンチン代表FW。

昨年のW杯で悲願の優勝を成し遂げると思わず涙していた彼は貧しい環境から這い上がった選手でもある。

幼少期は多動症だったそうで、母親によれば、医師からスポーツを勧められ、空手ではなくサッカーをすることになったとか。

11番のイメージもあるが、ユーヴェでは22番を選択。その理由は、CL優勝など成功を収めたレアル・マドリー時代につけていた番号だったから。また、愛娘の誕生日でもあるため、22は大事な番号だそう。

ハキム・ジヤシュ

チェルシーに所属するモロッコ代表の天才レフティ。

ヴァヒド・ハリルホジッチ監督と衝突したことで代表引退を宣言したが、指揮官の解任を受けて代表に復帰し、昨年末のW杯にも出場した。

代表では7番をつけているが、クラブでは22番を背負うことが多い。

ヘーレンフェーンとアヤックスでも22番を着用。ドゥシャン・タディッチがアヤックスに加入した際には彼に10番を委譲し、22番に“復帰”した。

ニコロー・ザニオーロ

イタリア代表の大型レフティ。ローマ加入以降、ずっと22番を背負ってきた。

190cmの長身ながら、スピードとパワー、テクニックを併せ持つ大器だ。

あのファビオ・カペッロも「彼が大好きだ、全てをハイレベルで兼ね備えている。パワー、クオリティ、スピード。現時点で彼ほどいい若手選手は他にいない。バロンドールを勝ちとれるポテンシャルがある」と絶賛していたほど。

ただ、大ケガを負った後はトーンダウン。移籍を志願したことでローマでは厳しい状況に追い込まれてしまった。

王子フランチェスコ・トッティは「ザニオーロは偉大な選手になれる。彼は新世代のなかで最も澄んだ才能を持っているよ。人としてもピッチ上でも成熟しなければいけないが、あまりに長くかかってしまっては使い物にならない」と危惧していたが、その通りにならないことを願う。

ヘンリフ・ムヒタリャン

マンチェスター・ユナイテッドとアーセナルでもプレーしたアルメリア人アタッカー。10番をつけたドルトムントでは香川真司ともチームメイトだった。

彼はシャフタールなどでつけた22番に愛着を持っているようで、今季加入したインテルでもこの番号を選んだ。

ジュード・ベリンガム

ドルトムントに所属するイングランド代表MF。

まだ19歳ながら選手として驚異的な完成度を誇り、その市場価値はなんと1.1億ユーロ(155億円)!

彼はバーミンガム時代から22番を着用してきた。13歳頃にバーミンガムの育成担当から「君は22番になれる」と言われて以降、この番号を好んでつけているそう(アンカーの4、センターハーフの8、攻撃的MFの10を足すと22。つまり全てを兼ね備えたMFになれるという意味)。

なお、バーミンガムでの出場は44試合だったが、クラブは彼がつけたこの番号を永久欠番にしている。

カカ

ミランやレアル・マドリーなどでプレーした元ブラジル代表。すでに引退しているが、彼のことを外すわけにはいかない。

バロンドールを受賞するなど大活躍したミラン時代の22番は彼の代名詞にもなった。この番号にしたのは誕生日が理由だったそう(4月22日生まれ)。

レアルからミランに復帰した際もファン投票の結果、背番号は22に決定(サンパウロやレアルでつけた8番、ブラジル代表で着用した10番なども候補だった)。

その後、「リスペクトを込めて、22番はミランでしかつけない」と宣言し、実際にこの番号をつけたのはミランだけだった。

あまりにカカの印象が強すぎるため、2011年にミランで22番を背負ったアントニオ・ノチェリーノはミラニスタから厳しい目に晒され、1年後に8番に変更している。

なお、前述のザニオーロが22番をつけているのは、母親の誕生日であること、そして、アイドルだったカカが背負っていたことが理由だそう。

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他にも、吉田麻也、ラウール・ガルシア、イスコらも22番を愛用している選手たちだ。

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