「断り」と「ことわり」

 国語辞典に収められた言葉には、時に奇妙な“ご近所さん”がいる。「福」には徳があり、そばの「河豚(ふぐ)」には毒がある。悪事をしでかす「犯人」の隣に、それを見張る「番人」がいる▲拒絶を意味する「断り」の隣人が、筋道や道理を表す「理(ことわり)」であるのも、奇縁の一つかもしれない。2012年、対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像を巡る訴訟の判決に触れて、その思いを深くする▲仏像は本来、わが方のものだ、と主張する韓国の寺が、像を対馬に返さず、わが方に返すよう求めた裁判で、大田(テジョン)高裁は一審の判決を取り消し、その訴えを退けた▲遠い昔はわがものだった-とは認定できないなどとしている。「返すのはお断り」という理解しがたい言い分は、「ことわり」、つまり道理の前では通らなかった▲仏像はそもそも、韓国の窃盗団がカネに換えようとして自国に持ち込み、一団はすでに罰せられている。「盗み出した」事実が「取り戻した」にすり替わるのでは、道理の出る幕もない。観音寺の前のご住職は「最高裁でも良心ある決定を望む」と語っておられる▲きょうは「立春」で、暦の上では春が来たが、辞書を引いたら「立証」という隣人がいる。春立つ季節になった。証しが立てられ、筋が通り、道理にかなう日はいつだろう。(徹)

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