長崎丸就航100年

 ちょうど100年前のきのう、1923(大正12)年2月11日、長崎と中国・上海を結ぶ日華連絡船の長崎丸が就航した。上海航路の開設である▲長崎丸は英国で建造された全長120メートル余り、5千総トン超の大型貨客船。姉妹船の上海丸と共に当時最新鋭の高速船だった。長崎を午後1時に出港、翌日の午後3時には上海へ着いた。異国の大都市が「げたを履いて上海へ」と言われるほど身近になった▲そして長崎は西洋、東洋、太平洋を結ぶ航路の中継点となり、世界中から来た船がにぎわいを街にもたらした。35(昭和10)年の人口は約21万人。全国10位の大都市だった▲だが上海航路もまた戦争の波にのみ込まれてゆく。長崎丸は42(昭和17)年5月、伊王島北方で浮遊機雷に触れ沈没し、海の藻くずと消えた▲岡林隆敏氏編著「上海航路の時代」(長崎文献社)をめくる。長崎丸の雄姿とモダンな大正長崎の街並みが、古写真や美しい絵はがきに刻み込まれている。まさに長崎の黄金時代だ▲コロナ禍で県内の港から国際クルーズ船がパッタリ姿を消してから3年。長崎で、佐世保で、対馬で、クルーズ船の受け入れや国際定期航路の再開のニュースが聞かれるようになった。あのころの上海航路のように、海が再び長崎県に活力を運んできてくれることだろう。(潤)


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