信じた「自分らしさ」 金谷拓実は2年間あきらめず海外初優勝

後続に4打差をつけて圧勝した(提供:アジアンツアー)

◇アジアンツアー◇インターナショナルシリーズ オマーン 最終日(12日)◇アルマージゴルフ(オマーン)◇7045yd(パー72)

「プロとして初めて海外のツアーで優勝することができて本当にうれしくて。2年間、優勝できていなかった」。決して長くないインタビューの言葉に万感の思いがあふれた。金谷拓実の海外ツアー初勝利はアジアンツアー。中東オマーンで強豪フィールドをねじ伏せた。

トップ10以内に4人の日本勢がひしめいてスタートした最終ラウンド。久常涼を交えた最終組で単独首位から出た金谷は、3サムのもうひとり、サドム・ケーオカンジャナ(タイ)の序盤の追い上げを振り切った。5バーディ、4ボギーの「71」で通算10アンダー。最終18番で3mのパーパットを外しても、後続に4打差をつける圧勝だった。

2020年10月、鳴り物入りで飛び込んだプロの世界。転向から1カ月後の「ダンロップフェニックス」で初優勝し、21年4月「東建ホームメイトカップ」で2勝目を挙げた。

順風満帆に思えた船出の前には、海外の大波が立ちはだかった。同シーズンにトップ10入り15回、平均ストローク1位(69.73)を記録した国内ツアーでの活躍の反面、欧米では決勝ラウンド進出もままならない。昨年はメジャーを含め4試合連続予選落ちが2回。欧州ツアーの最終予選会でも翌シーズンの上位資格をつかめなかった。

「自暴自棄になりつつあった」とも言う。それでも金谷のゴルフには、キャリアには「あきらめる」という言葉がない。苦しみが本格化した21年秋、PGAツアーへのわずかな出場機会を、渡航問題を自ら理由に挙げて見送った後悔もあった。恩師のトレーナーの「前の扉を開けるためには、後ろの扉を閉めないといけない」という言葉を胸に不退転の決意を貫き、海外挑戦をやめなかった。

日本で行われた共催大会および世界選手権シリーズを除き、海外でのアジアンツアーで日本人が優勝したのは平塚哲二が年間3勝した2010年以来、実に13年ぶり。昨年新設されたアジアンツアーのインターナショナルシリーズは、新リーグ「LIVゴルフ」の支援を受けて規模を拡大し、欧米ツアーから撤退した名手も続々参戦。セルヒオ・ガルシア(スペイン)、ホアキン・ニーマン、ミト・ペレイラ(ともにチリ)らを退けて手にしたタイトルだ。

「このタフなコンディションの中で自分らしくゴルフを続ければ優勝できると信じてプレーしました」。ウィナーズサークルに帰ってきた24歳を待ち受けていたのは、日本人選手たちからの祝福のウォーターシャワーだった。

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