豊田章男氏が50代の次期トップに託した「脱・自動車メーカー」への変革 トヨタが衝撃の社長交代、激変する競争環境

 試乗するトヨタ自動車の豊田章男社長(右)と次期社長の佐藤恒治執行役員

 日本最大の企業であるトヨタ自動車の社長が14年ぶりに交代する。米国の大規模リコール問題や東日本大震災などの難局に当たった創業家の豊田章男社長(66)が、エンジニア出身の佐藤恒治執行役員(53)に経営のバトンを託す。突然の発表や大幅な若返りなど、自動車業界に衝撃が走った今回の人事。背景を探ると、かじ取りを任せる次世代のリーダーに「伴走」し大変革期を乗り越えようとする豊田氏の思いが浮かんできた。(共同通信=仲嶋芳浩、奥田真尚)

 ▽徹底した保秘、異例のオンライン配信
 1月26日午後3時半すぎ。報道関係者の元にトヨタから届いたのは、シンプルなニュースリリースだった。「役員人事について」。メールに記載されたリンク先のホームページには、4月1日付で「会長の内山田竹志が退任し、会長に豊田章男、社長に佐藤恒治がそれぞれ就任する」と記されていた。トヨタのトップ人事は重大ニュースだが、それを予測する内容を報じた記事は主要メディアでは見当たらなかった。

 豊田氏が社長に就任したのは2009年。今月14日に亡くなった父の豊田章一郎氏の社長在任期間を既に上回る「長期政権」となり、日本自動車工業会(自工会)の会長も務めるなど、自動車業界の顔となっていた。業界は脱炭素化の流れを受けた各国政府のガソリン車への規制強化や、米テスラや中国勢といった電気自動車(EV)メーカーの台頭など、100年に1度の変革期にある。豊田氏は当面、トヨタ社長を続投するとの見方が一般的だった。

 豊田氏らによる社長交代の説明は、自社メディア「トヨタイムズ」のオンライン配信で行うという異例の形式だった。かつてテレビ朝日で「報道ステーション」のメインキャスターを務め、現在は「トヨタ所属ジャーナリスト」となった富川悠太氏が司会を務めた。報道陣からの質問はオンラインで受け付けた。トヨタ関係者は「ホテルなどで記者会見の場所を準備しようとすると、メディアに気付かれる恐れがある。それは避けたかった」と保秘を徹底した様子を明らかにした。

 オンラインで記者会見する佐藤執行役員(左)と豊田社長=1月26日

 ▽引き際を決められるのは本人だけ
 社長交代について、豊田氏は「内山田会長の退任がトリガー(引き金)になった」と説明した。76歳の内山田氏は「以前より世代交代の必要性から退任のタイミングを考えていた。長くなると老害になりかねない。若い人たちからそう言われる前に退任を、と思っていた」と付け加えた。

 豊田氏や内山田氏ら経営陣はこの数年間、世代交代に向けた議論を重ねてきた。まずはトヨタの社長にふさわしい人物像を描き、その上で候補者を絞り込んだ。豊田氏は「(自身が)社長でも会長でもないポジションに就くことも考えた」というが、「豊田章男は日本の産業界全体に大きく羽ばたくべきだ」と考える内山田氏の思いもあり、会長への就任が固まった。

 豊田氏は社長退任後も車の乗り味を確認する「マスタードライバー」を続けるなど現場を重視する。財界活動には消極的とも言われるが、経済界では発信力のある豊田氏が経団連会長に就任することへの期待が高まる。トヨタの会長では、豊田章一郎氏と奥田碩氏が経団連会長を務めた例がある。

 豊田氏は気力、体力とも十分で、社長を辞めるのは早すぎるように記者には思えた。だが、永遠に社長を続けることはできない。ましてや創業家ともなると、引き際を決められるのは本人だけだ。

 佐藤氏を中心とする新体制の立ち上がりを支え、自らも自動車業界全体の発展に力を尽くす―。豊田氏のそのような思いが、60代後半で社長を退き、会長に就く判断につながったと、あるトヨタ幹部は解説した。

 左から豊田社長、佐藤執行役員、内山田竹志会長

 ▽豊田氏にも直言する根っからの車好き

 記者会見する佐藤執行役員=2月13日、東京都港区

 佐藤氏は幼い頃から車が好きで、学生時代にはガソリンスタンドや富士スピードウェイでアルバイトをした経験を持つ。早稲田大理工学部機械工学科を卒業後、1992年にトヨタに入社。カローラの部品開発などに携わった後、高級車ブランド「レクサス」部門のトップなどを歴任した。

 豊田氏は、佐藤氏を「トヨタの『思想』『技』『所作』を身につけようと、クルマづくりの現場で必死に努力してきた」と評価する。だが、佐藤氏の持ち味はそれだけではない。「クルマづくりになると豊田氏が相手であっても歯向かう。『これは違います』とロジカルに説明する」(トヨタ関係者)。次期社長の候補者には、佐藤氏よりも若手の名前が挙がったこともあったが、豊田氏への「直言」も辞さない実直な姿勢などが評価され、佐藤氏に白羽の矢が立った。

 ▽豊田氏が認めた「クルマ屋」の限界
 豊田氏は「佐藤氏を軸とする新チームのミッションは、トヨタをモビリティーカンパニーにフルモデルチェンジすること」と語った。自動車の製造にとどまらず、人やモノの移動全般を手がける企業を意味する。豊田氏も社長在任中、ビジョンとして掲げた。トヨタ自動車東日本の東富士工場があった静岡県裾野市に自動運転車が走る先端技術都市「ウーブン・シティ」の開業準備を進めるなど、種まきに取り組んだ。

 かつて「面白みがない」と言われたトヨタ車は「もっといいクルマづくり」を目指す豊田氏の社長在任中に評価が一変した。販売も伸び、売上高は2022年3月期に31兆円超となり、社長就任前の2009年3月期の1・5倍に増加した。だが、豊田氏は「私はどこまでいってもクルマ屋だ。トヨタの変革を進めることはできたが、クルマ屋を超えられないのが私の限界だ」と認め、「脱・自動車メーカー」の目標実現を後進に託した。

 タイ東北部ブリラムの耐久レースに参加した豊田社長(手前)=2022年12月

 ▽EV開発にも手を抜かず
 電動化や自動運転技術の普及といった自動車を巡る技術革新に加え、米中の対立激化を受けた販売戦略やサプライチェーン(供給網)の再構築など、トヨタの経営は難路に直面する。かつて家電製品で世界を席巻した日本の電機メーカーは、韓国や中国勢との競争に敗れ、存在感を失った。

 欧米の自動車メーカーは急速な「EVシフト」を進める。一方、トヨタは、国内で自動車産業に従事する550万人の雇用維持や、新興国での販売も見据え、EVだけでなく、ハイブリッド車(HV)や燃料電池車(FCV)など「全方位戦略」にこだわってきた。

 トヨタのEV戦略について説明する豊田社長=2021年12月、東京都江東区

 佐藤氏は今月13日の記者会見で、トヨタが「出遅れている」と指摘されてきたEVにも手を抜かない姿勢を強調し「トヨタらしいEVをつくる準備を進め、自分たちが目指すEVのあり方が見えてきた。機が熟した今、従来とは異なるアプローチで開発を加速する」と宣言、2026年に次世代のEVを開発する目標を表明した。急速な環境変化の中で、これからも競争力を維持できるのか。50代の佐藤氏が中心となる新経営陣の手腕に一段と注目が集まるのは間違いない。

 トヨタ自動車の新経営陣メンバーとポーズをとる佐藤執行役員(中央)=2月13日、東京都港区

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