「君子というものは、器ではない」指導的立場の人を器のように1つの型にはまってはいけない理由とは?【論語】

子(し)曰(いわ)く、君(くん)子(し)は器(うつわ)ならず。

<訳>先生がいわれた。君子というものは、器ではない(つまり、決まりきったものを入れるという限定された器とは違って、広く自由であってよいのだ)。

専門分野について、深く研究をしているスペシャリストといわれるような人は、ひとつのことだけについて、よく知っていればよいわけです。

ここでいう君子のことを、たとえばビジネスの場で指導的立場にある人と考えると、そのような人はスペシャリストである必要はないといっているのです。なぜなら、指導的立場に立つということは幅広い能力と、臨機応変な姿勢が望まれるものであって、大局的な視点が最も大切とされるからです。型にはまってはいけないのです。

専門的な知識が必要であれば、スペシャリストの力を借りればよいわけですから。『論語』の面白いところは、ひとつの言葉を読み手の側の立場、あるいは心情などによって、様々に解釈ができるところにあります。

君子といえば、徳が高く品位のある人を意味するのですが、では具体的にどのような人のことかというところまでは言及していません。読み手の受け取り方で、ビジネス上のリーダーととらえてもよいし、政治的立場にある人と考えてもよいわけです。

こうした寛容さが、『論語』の言葉が時代の変遷に取り残されることなく、今に伝わっている理由のひとつともなっているといってよいでしょう。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 論語』
監修:山口謠司 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1963年長崎県生まれ。博士(中国学)。大東文化大学文学部大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現大東文化大 学文学部中国学科准教授。 主な著書に『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』(ワニブックス)、『日本語を作った男 上田万年とその時代』(第29回和辻哲郎文化賞を受賞。集英社インターナショナル)、『日本語の奇跡〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』『ん─日本語最後の謎に挑む─』『名前の暗号』(新潮社)、『てんてん 日本語究極の謎に迫る』(角川書店)、『日本語にとってカタカナとは何か』(河出書房新社)、『大人の漢字教室』『にほんご歳時記』(PHP 研究所)、『漢字はすごい』(講談社)、『語彙力のヘソ』(徳間書店刊)、『おとなのための 1 分読書』(自由国民社)など著書多数。

2500年の時を超え、「聖書」と並び読み継がれてきた孔子の言葉を著した『論語』。「人生最高の教え」と賞される、この全20章500余の短文から現代により通じる「珠玉の言葉」を厳選して紹介、図解でわかりやすくまとめた1冊!

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