トルコ、日本と韓国を撃破した「日韓W杯の伝説メンバーたち」

2002年に行われた日韓ワールドカップ。そこで最も大きな成功を収めたチームと言えば、3位に入ったトルコであるといえよう。

グループステージではブラジルを相手に健闘し、決勝トーナメント1回戦では開催国の日本を撃破。さらに大会の台風の目となったセネガルをも破った。

準決勝でブラジルに敗れたが、3位決定戦ではもう一つの開催国である韓国を破り、見事な結果を残している。

今回は今から10年半前、3位決定戦で戦ったトルコ代表の伝説的なメンバーをご紹介する。

GK:ルストゥ・レチベル

当時の所属クラブ:フェネルバフチェ

長髪をなびかせてスーパーセーブを行うフェネルバフチェの伝説ゴールキーパー。この大会後になんとバルセロナへと移籍したものの、クラブのスタイルに合わなかったこともあってミスを連発し、すぐに信頼を失ってしまった。

引退後はスポーツ界で活動しているが、2020年には新型コロナウイルスに感染して重篤な状態になってしまったとか。息子のブラク・レチベルはトルコのユース代表に入るほどの有望なストライカーとして期待されている。妻のイシュルがめっちゃ綺麗。

右SB:ファティフ・アクエル

当時の所属クラブ:フェネルバフチェ

現在:リェレブルガズスポル監督

ガラタサライとフェネルバフチェで長く活躍したディフェンダー。国外でのプレーは成功しなかったが、トルコリーグでは実績を残したレジェンドである。ただ、2010年には八百長に関与したとして逮捕されてしまい、キャリアは良くない形で終わった。

その後は指導者に転身し様々なクラブで監督を務めた。現在はアマチュアリーグ(7部)のリェレブルガズスポルと契約し、監督としてだけでなくクラブ作りのコンサルタントとして働いている。

CB:アルパイ・エザラン

当時の所属クラブ:アストン・ヴィラ

現在:政治家

後にJリーグへとやってきて浦和レッズでプレーしたことで知られるアルパイ。闘争心溢れるファイトを武器に戦った名センターバックだ。トルコ代表では90capを記録。

ケルンでプレーしたのを最後に引退して指導者を行っていたが、2018年からは政治家に転身。公正発展党のトルコ大国民議会メンバーとして活動している。

CB:ビュレント・コルクマズ

当時の所属クラブ:ガラタサライ

現在:チャイクル・リゼスポル監督

現役時代のすべてをガラタサライに捧げたワン・クラブ・マン。決して長身ではなかったものの、アグレッシブなディフェンスを武器にトルコ代表102capを獲得する活躍を見せた。

引退後は指導者に転身。2009年にはミヒャエル・スキッベ監督の退任後に古巣ガラタサライの指揮官となった。その後も様々なクラブを率いており、現在はチャイクル・リゼスポル監督。

左SB:エルギュン・ペンベ

当時の所属クラブ:ガラタサライ

現在:タルスス・ウドマン・ユルドゥ監督

ガラタサライで300試合以上に出場した名ディフェンダー。ファウルを辞さないプレーが得意な選手が多い中、彼はとにかくフェアプレーを信条としており、ディフェンダーでありながら2年間イエローカードゼロのシーズンがあった。

引退後はすぐに指導者になり、国内の様々なクラブを指揮。2019年からは3部リーグを戦っているタルスス・ウドマン・ユルドゥというクラブで監督を務めている。

右SH:ウミト・ダヴァラ

当時の所属クラブ:ミラン

現在:指導者

モヒカンヘアーで話題になったウミト・ダヴァラ。パワフルで闘争心あるあまりにもトルコっぽいウインガーであったが、実はドイツ出身。ガラタサライでプレーしたあと、2001年にACミランへと移籍していた。そしてこの夏にはダリオ・シミッチとのトレードでインテルへと移籍している。

2005年に負った股関節の怪我が重かったために若くして現役を引退し、指導者に転身。またそれと並行しながらフットサルでもトルコ代表になり、さらにラッパーとしてCDをリリースしている。

CMF:トゥガイ・ケリモル

当時の所属クラブ:ブラックバーン・ローヴァーズ

現在:指導者

トルコの歴史上でも屈指のボランチであったと評価されるトゥガイ。喫煙者でありながらも強烈な運動量とファイトでボールをかっさらう選手で、メンタル面の強さも評価されていた。ガラタサライでは歴史上最年少でキャプテンも務めた。

2009年に引退したあとはマンチェスター・シティで指導者になり、後にトルコ代表のコーディネーターを経てガラタサライに復帰。2011年には暫定監督も務めた。現在は解説者として活動。息子はイギリスで映画を作っているそう。

CMF:ユルディライ・バシュトゥルク

当時の所属クラブ:レヴァークーゼン

現在:実業家

今なおトルコの名司令塔といえば彼の名前があがるであろうバシュトゥルク。アルトゥントップ兄弟と同じクラブで育ち、後にボーフムとレヴァークーゼンで大活躍し、チャンピオンズリーグ準優勝も経験した。この2002年あたりはまさにキャリアの頂点にあったといえる。

引退後はサッカー界で仕事はしておらず、ボーフムの不動産会社でマネージングディレクターを務めているとのこと。時々トルコのメディアに出演している。

左SH:エムレ・ベロゾール

当時の所属クラブ:インテル

現在:イスタンブール・バシャクシェヒル監督

トルコ代表最大のスター選手だったエムレ・ベロゾール。小柄ながらも高いテクニックと重心低いドリブル、左足のキック、闘争心溢れるプレーで「ボスポラスのマラドーナ」と言われたことも。

40歳になる2020年まで現役でプレーし続けたあと引退し、フェネルバフチェのディレクターに就任。その後暫定監督も務めたものの、退任とともにチームも退団。その後イスタンブール・バシャクシェヒルで監督に就任している。

FW:ハカン・シュキュル

当時の所属クラブ:パルマ

190cmを超える身長と柔らかい足元を武器にゴールを量産したハカン・シュキュル。イタリア・セリエAではなかなか活躍できなかったが、トルコリーグでは圧倒的な実績を誇るレジェンドストライカーだ。

引退後は政治家として国会議員になったものの、支援していたギュレン運動が政府からテロ活動と見なされた際に父親が逮捕、本人も資産を没収されてしまい、2015年にアメリカへと渡った。2019年には「Uber EATSのドライバーとして働きながら生活している」と発表していた。

FW:イルハン・マンスズ

当時の所属クラブ:ベシクタシュ

現在:元フィギュアスケート選手、タレント、指導者

この2002年ワールドカップで大ブレイクした「イルハン王子」。端正なルックスでデイヴィット・ベッカムとともにスター扱いされ、多くのファンを熱狂させた。そして2003年にはヴィッセル神戸に加入して大きな話題になったが、ピッチ上ではほとんど活躍できず…。

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度重なる怪我と交通事故のために2006年以降プレーできずに現役を離れ、その後は俳優としてのテレビ出演、フィギュアスケーターとしての活動を行ったほか、ベシクタシュのアシスタントコーチを務めたこともある。

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