センバツ2校出場「夢のよう」 海星、長崎日大両校の元監督・的野和男さん(81)

「生きている間に、まさかこんな夢のようなことがあるなんて」とセンバツ2校出場を喜ぶ的野さん=長崎市、長崎新聞社

 「生きている間に、まさかこんな夢のようなことがあるなんて…。両校に感謝でいっぱいです」
 3月18日開幕の選抜高校野球大会に臨む長崎日大と海星に、特別な思いを寄せる人がいる。かつて海星初の甲子園を主将で経験し、その後、海星と長崎日大それぞれで監督を務めた的野和男さん(81)=五島市出身=。県勢初の“ダブル出場”に「最高の力を出し切って、夏への基盤づくりや長崎全体のレベルアップにつなげてほしい」と期待を込めている。

■“初”ずくめ

 今回で春夏計25度目の甲子園となる海星と13度目の長崎日大。県内1、2位の出場を誇る両校の礎を築いたのが的野さんだ。選手としては1959年夏、エースの故障で二塁手から急きょ投手に転向し、海星を初の全国へ導いた。初戦で平安(現龍谷大平安、京都)を五回まで1安打に抑えたが惜敗。「六回にスクイズの処理を誤ってね…」と回想する。
 福岡大卒業後、母校の海星に戻って指導者人生がスタート。仕事や練習と並行して社会科の教員免許を取得した。「次は全国で勝つことが使命と思って必死に鍛えた」。監督で3回目の甲子園、68年夏に悲願のチーム初勝利。71年秋に一度退職したが、以降もコーチや再び監督として海星の名を県内外に知らしめた。
 平成に入って92年から2005年までは長崎日大を指揮。それまで全国経験はなかったが、就任翌年の1993年に春夏連続で甲子園出場。98~2000年は夏の長崎大会3連覇を達成した。長い歴史の中、このV3は今でも海星と長崎日大しか成し遂げていない。

■負けん気を

 厳しさで有名だった的野さんは特に「精神的なスタミナ」を追求してきた。「例えば練習試合でも、偶数打順は2ストライクまで打つな、奇数打順は初球を絶対に打てと指示を出したり、常に工夫を凝らしてきた」と振り返る。体力や技術面はもちろん、戦術や勝負勘を養うための逸話は、OBたちも「かなりたくさんある」と苦笑いする。
 長崎市内で暮らしながら現在も高校野球界を見守る的野さん。「体罰を含めて昔のような教え方は駄目だけれど」と自省した上で、こうも強調する。「これだけやったんだからと自信を持てるくらい(練習を)やらないと、本当の負けん気は湧かない。その根本は同じはず。勝負事のチャンスとピンチは生き物。それをものにできるかどうかに差が出てくると思う」
 約1カ月後、思い出が詰まった長崎日大と海星が初めて2校同時に甲子園に立つ。長崎日大が出場した昨春は現地に足を運んだが、今年は「テレビでゆっくりと拝見したい」。入念に戦いぶりをチェックする予定だ。
 「活躍は県内他校への刺激にもなる。そういうレベルアップのためにも初戦は2校ともに勝ってもらわないと」。元監督として熱っぽく注文をつけつつ、最後は「精いっぱいの戦いを見せてほしい。それだけですね」と目尻を下げた。時代が変わっても、同じ目標に向かって一生懸命になる子どもたちの姿が、心底うれしそうだった。


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