“被爆地長崎で平和願う” 「一日も早く終わって」ウクライナ留学生4人 露の侵攻1年

爆心地公園を訪れた(右から)チャイカさん、ダニロバさん、ペトルシュコさん、ボーダノフさん。母国の平和へ祈りをささげた=長崎市松山町

 ロシアがウクライナに侵攻し24日で1年になるのを前に、長崎国際大(佐世保市ハウステンボス町)に避難しているウクライナ人留学生4人が被爆地・長崎市を訪れ、被爆者との対話や座談会などを通じて、戦争や平和について考えた。4人は、一日も早い戦争終結を願い、長崎と母国を重ねながら復興を誓った。
 長崎新聞社が同大を通じて4人を招き、今月15日に長崎原爆資料館(同市平野町)訪問や座談会などを実施した。
 ボーダノフ・ザハールさん(19)、ダニロバ・エリザベータさん(18)、チャイカ・マクシムさん(18)、ペトルシュコ・ヴァレリアさん(20)。4人はキーウやオデーサなど出身。昨年6月と9月に2人ずつ佐世保に避難し、現在留学生として同大に在籍している。
 長崎市の平和公園を見て回ったボーダノフさんは、70年は草木が生えないと言われた被爆地の今の姿に「草木どころか、素晴らしい町が再建したんだ。あんなにひどいことがあったのに…」と息をのんだ。母国ウクライナは国中にがれきの山がある。「どこにいても365日、爆撃の危険にさらされている」と声を落とした。
 4人は長崎原爆資料館を訪れ、被爆者の小川忠義さん(78)=同市=が開いているウクライナの写真展を見学した。2012年に同国を訪ねた小川さん。首都キーウやオデーサで撮影した写真は、侵攻前のおだやかな日々を生きる市民の笑顔が目立つ。
 写真展でキーウ出身のダニロバさんは感嘆の声を上げた。自身のスマートフォンの写真アルバムを開き、来日前に撮影した古里の景色を記者に見せた。オレンジ色の夕景、巨大な像、伝統的な街並み-。記者がロシア語で「なんてきれいな景色だ」と話すと、「ありがとうございます」と日本語で答え、静かに笑った。
 今は日本語を学びながら本県で暮らす4人。1年前は母国にいたが、侵攻はいや応なく彼らの人生を巻き込んだ。チャイカさんは国に残る親戚たちの身を案じる。「第一に健康を願う。とにかくこの状況が一日も早く終わってほしい」
 ただ、ペトルシュコさんは侵攻が終わっても「決して夢のような時間にはならない」と考える。待ち受ける国土の復興は厳しい道のり。何より、あまりにも多くの命が奪われた。ペトルシュコさんは小川さんにこう尋ねた。
 「原爆で亡くなった方々の死は、日本の平和の礎となる価値のある死だったと思いますか」
 その時、学生に随行して通訳を務めた長崎大の高橋純平助教は「これほど自分ごととして重みを持った質問に出会ったことはない」と驚いた。
 小川さんはしばらく言葉を探した後、こう応じた。「原爆で亡くなったことを認めることはできない。でも、亡くなった人たちを忘れずに生きていきたい」。ペトルシュコさんはしっかりとうなずいた。

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