「あしたこそは戦争が終わりますように」ウクライナ避難民 それぞれの1年

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって、24日で1年です。広島県内には、ウクライナから避難した51人が身を寄せています。ある日突然、日常が奪われ、遠い異国の地で暮らすことになった避難民の1年です。

三次市に住むブワイロさんです。妻と3人の子どもを連れて、ウクライナの東部・ドネツク州から三次市に避難して、もう10か月になります。

一家が三次市に到着したのは、去年4月。ウクライナにルーツを持つバイオリン奏者の男性が県内各地で開催していたチャリティコンサートに参加したり、三次市の夏の風物詩・鵜飼いを見物したりと、招かれたイベントには積極的に参加をして、少しずつ日本での生活になじんでいきました。

ただ、ふるさとに残る家族や友人を心配する気持ちは募る一方でした。

ディミトル・ブワイロさん
「(地元に)おじいちゃん・おばあちゃんが残っているし、面倒も見ないといけないので、今もつらさが残っています」

ほかの避難者も同じ気持ちを抱えていました。

ビクトリア・カトリッチさん
「今は、ミコライウに居る父や友達のことが心配です」

福山市のビクトリア・カトリッチさんは、娘のソフィアちゃんと母の3人でウクライナ・南部のミコライウから避難してきました。戦火から無事に逃れられた一方で、ふるさとの家族を思う不安と闘っていました。

広島県内では、去年4月ころから多くの避難民が暮らしをスタートさせました。今、県内にはおよそ50人の避難民が暮らしています。県も住宅の提供などの支援を表明したほか、たる募金や署名活動など、市民の間でも支援の輪が広がりました。

三次市のブワイロさんも、3人の子どもたちの服や歩行器の差し入れなどの支援に「周りの人の支援が温かくて、これ以上の望みはない」と話します。一方で、長く住むにつれて新しい悩みも出てきました。

妻 イリーナさん
「わたしたちにはコミュニケーションが足りません。ウクライナから避難した人で集まって、自分の国の言葉を使って話をしたり、子ども同士で遊んだりする機会があればとても良いです」

避難をして、半年ほどが経ったころ、福山市では避難民同士の交流会が初めて企画されました。4月に避難してきたビクトリア・カトリッチさんと福山市で1歳を迎えた娘のソフィアちゃんの姿もありました。

福山市への滞在の長期化を見すえて、ふくやま国際交流協会が企画し、10人ほどが参加しました。

ダリア・ベスペチャリニフさん
「きょうは楽しかった。日本に避難してきた人たちと初めて集まって、自分の言葉でたくさん話ができて感動した」

アナスタシア・クラブチュクさん
「みんなと絶対、仲良くなれる。毎日は無理でも週1回とかご飯行ったり、遊んだりしたい」

先月は、4世帯8人が福山城でのイベントに参加し、写真を撮り合うなど交流をしました。

避難民同士をつなぐ、こうした交流会は、去年の秋以降、広島市や福山市などでは開かれていますが、県内の7市町に住む全ての避難民が気軽に参加できるわけではありません。避難民が孤立しないためのコミュニケーションは、県も、滞在が長期化する中での課題の1つととらえています。

9月、ウクライナの首都キーウから広島に避難した姉妹は、広島に来て1か月後、地元の企業の協力を得て、正社員として就職しました。

ファジリエ・ボロジナさんと妹のマリアさんです。ほかの社員とは翻訳機を使うなどしてコミュニケーションをとっています。

日本人の社員
「きのうの夜は何を食べましたか? ファジリエさん、魚は嫌いですよね」

ファジリエさん
「わたしはパンを食べました」

仕事も、できることが増えてきました。日本語を勉強するなど、日本での生活に前向きです。一方で、ふるさとに残る母への心配は尽きません。

ファジリエさん
「お母さんから電話が…。今は電気が通っている友人の家に行っているところだそうです」

毎日、連絡を取り続けています。姉のファジリエさんを支えるのが、将来、建築士になって地元の復興に携わりたいという目標です。広島で働きながら、ふるさとに戻る日を見すえて、地元で通っていた大学の勉強を続けています。

寒波で大雪となった先月、三次市で暮らすブワイロさん一家にとっては、ウクライナの冬の景色と似ていて、子どもたちは大喜びだったそうです。

ブワイロさんは、戦争の終わりを願い続けたこの1年間を「長かった」と感じています。

ディミトル・ブワイロさん
「大好きな街で亡くなった人が多すぎて、言葉が出ないくらい悲しいです。戦争が終わっても、すぐには笑えません。涙がたくさん出ると思います」

特に、ふるさとに帰りたいと強く願った出来事がありました。

ディミトル・ブワイロさん
「2か月前に88歳のおばあちゃんが亡くなりました。子どもや孫の面倒をたくさん見てくれたのに、お葬式に出たのは家族4人だけでした」

「あしたこそは、戦争が終わりますように」―。そう願い続ける毎日です。3か月後に迫る広島サミットには、「必ず良い議論がある」と大きな期待を寄せています。

ディミトル・ブワイロさん
「わたしのような一般の人は、サミットで何も言うことはできません。ウクライナに必要なのは、たくさんの兵器を提供してもらうことではありません。ロシアの軍人が自分の家に帰れば、これ以上、血を流すことはないのです。政治家にはしっかり考えてもらいたいです」

当たり前の日常を失い、「避難民」になったそれぞれの1年が過ぎようとしています。ふるさとへの思いを抱えながら、広島で前向きに暮らしを続けています。

© 株式会社中国放送